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読書記録 | 三島由紀夫の「憂国」に想う、それは尊厳ある死であったか

ある文学系のスレッドに「国内文学で最高と思う作品を一つ挙げるとしたら」というようなスレタイがあり、少数派ではあったが三島由紀夫の「憂国」が挙がっていた。

私がこれまで通読した三島由紀夫の作品は「金閣寺」をはじめとする代表的な長編をいくつか、短編小説でいうと「ラディゲの死」といったごく狭い範囲ではあるが、独特の端整で流麗な文体にいつも感銘を受けたものである。

作品の存在は知っていながら、これまで読む機会がなかったこの「憂国」であるが、読み手の身に迫るような文の一つ一つが、これまで読んだ小説作品の中でも最も衝撃を受けたものと言っても過言ではないであろう。

しかしまずこの作品を理解するにあたって、作品の核を成す「二.二六事件」について知っておく必要があると思う。

以下、「二.二六事件」についての私の拙い調べである。

今からおよそ90年近く前の昭和初期当時、財閥とズブズブの関係にあった政府に変わり、世に期待されていたのが、満州事変などで除々に勢力を拡大しつつある軍部であった。
そのうちの陸軍には「統制派」と「皇道派」の思想の異なる二つの派閥が対立しており、あるきっかけから力を得た「皇道派」の青年将校が、天皇を中心とした新しい政治体制を築く『昭和維新』を掲げ、国内の状況改善、政治家と財閥の癒着の解消や不況の打破を掲げクーデターを決行したのが「二.二六事件」である。

さて、その渦中で大いに煩悶するのがこの作品の主役、「統制派」の青年将校、竹山中尉である。
彼の頭をもたげている原因は、妻帯者の自分を気遣いひっそり「皇道派」に寝返りクーデターに加わった、かつての同士たちとの関係である。

立場上、反乱分子を鎮圧せざる得ない竹山中尉は、葛藤に葛藤を重ね遂に決意したのが、自宅にて妻とともに自決するという選択である。

この作品は、そこに至る中尉の葛藤から割腹自殺までの経緯を余すところなく克明に書き綴ったもので、夫婦の官能的な場面に、腹を刺し貫く瞬間から一面血の海になりながらも、眼前で藻掻き苦しむ良人の凄惨な死の瞬間まで見守るしかない妻の心情まで、その息遣いの一つ一つが読者の身体に伝わって来るかのように真に迫る内容なのである。

ここで特筆すべき点が、皮肉にも自害した竹山氏が夫婦ともに、夜の生活に至るまで「大真面目」な性質であったという点である。

そこでもう一つ述べたいのが、竹山氏が自害したあとそれ程間を置かず、「統制派」の懸命な呼びかけによって「皇道派」がクーデターを諦め、軍に帰還した点である。

これらを考えると、竹山中尉の真面目の度合いがもう少し柔らかければ、戦局をじっくり見据え、自害まで発展しなかったかもしれないのである。
この「大真面目」な性格が決断を急かしたのではないかとも思えるのである。

しかしこれは作者が語ることのないものであり、あくまで自分の想像が及ぶ範囲である。

竹山氏が妻と愛国を虚空に見ながら散らせた命に栄誉と尊厳があったものか否かは、あくまで読者自身が判断し感じることである。


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