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読書記録 | 読書感想文に「走れメロス」とシラーの「人質」の対比を

「メロスは激怒した。」

多くの人が知っている一度聞いたら忘れられないこの印象的な一節は、日本の近代小説家といえば必ずトップに上がってくる文豪、太宰治の代表作「走れメロス」の書き出しである。

太宰治といえば他にも思い浮かぶのが、自己破滅型の人間像に自分自身を照らし合せたとされる「人間失格」、新しい時代に向かって強く生きようとする女性を描いた「斜陽」、それから思春期の女の子のセンチメンタルな心情を痛い程書いた「女生徒」、中国の作家魯迅の青春時代の出会いと別れまでのことを書いた「惜別」など、まだまだ手に余るぐらい沢山の小説作品が残されている。

子どもの夏休みの名物宿題、読書感想文の締め切り前の土壇場に、もはやありきたりと思える「走れメロス」について、シラーの物語詩との対比という一捻りした構想を打ち立ててみた。

そのため、子どもの読書感想というよりウンチクめいた出来上がりになったのだが、残された時間で私が思いついたのが、これが限界なので仕方がない。

勿論、原文はですます調に仕上げている。

閑話休題、なぜ九十年ぐらい前の太宰の小説が今でも様々な人に愛され、読まれ続けているかを考えてみると、文章が読みやすいのが一番にあり、もう一つが時代が変わっても変わることがない人の心の動きや考え方を上手にとらえているところがあるのではないかと思うところである。

ではなぜ、「人間失格」ではなく、「走れメロス」を選んだか、答えは明白で前者は際限なく暗いので子どもの感想文としては少し書きにくいからである。

まずこの「走れメロス」が太宰治の代表作であることは変わりないのであるが、驚くべきは元々は太宰治が一から書いた作品ではないという事である。

それでは誰がこの「走れメロス」の原作者かというと、ドイツのフリードリヒ・フォン・シラーという1700年代中期から1800年代初期まで活躍した詩人である。

このシラーという詩人は、ベートーヴェンの交響曲第9番の詞の原作者としてもよく知られており、この「走れメロス」のモデルとなった「人質」という作品も、物語詩という一つの物語を短い詩文で表した詩の一種である。

なお、両作の類似性として、ダーモンとピンチアースという登場人物が、「走れメロス」ではメロスと友人のセリヌンティウスに置き換わっていること、暴君の存在や、メロスがその暴君を暗殺しようと企てる動機、行く手をさえぎる盗賊の登場まで、ほとんどがシラーの書いた物語の流れのそのままなのである。

ただ、シラーの作品自体は詩なので、文章は割と短く三~四ページで終わるのに対し、「走れメロス」はもう少し、物語の経緯や心情めいたもので装飾されているため長い。

つまり私が思うところ「走れメロス」は、その昔太宰治がシラーの作品に大きく関心を寄せ、日本人の感覚によりなじみ深く適度な文章の長さに伸ばして翻訳したものではないかと思うのである。

よくよく考えると惜しげもなく親友を人質に差し出したり、暢気に眠ったりとメロスの人間性に首をかしげる部分もなくはないが、自らを鼓舞しひたむきに走り切った勇気と精神に胸を熱くするものである。

私の思うこの作品の教訓は、美しい友情も然ることながら、懸命な姿が時には周りを変えることが出来るというところであろうか。


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