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読書記録 | 「智利の地震」から感じる未曾有の災害を逃れながらも非業の死を遂げた無情さと群集心理

私の住んでいる地域は、北は穏やかな海に面し、遠く南の方角は、時に碧く時に自然の緑に映える山脈が眺望できるという比較的自然環境に恵まれた場所である。

ゼロではないにしろ、身の回りで自然災害が比較的少ないのは、高い山々や周囲の自然環境がもたらす恩恵があってのことだと思っている。

しかしながら、このところの長雨や異常な暑さ、それから将来経験するであろう地震など、自分たちではどうしようもない災害が起こることを考えると、ふと心配になったりすることもある。

たとえば、もうわたしたちが居なくなった頃の子供たちの世代に大きな地震が来たとしたらと考えると、何とも言いようのない想いになるものである。

1700年代の後半〜1800年代のはじめにかけて、ハインリヒ・フォン・クライストというドイツの小説家がいた。

彼の旧い短編作品集「聖ドミンゴ島の婚約」の中に、「智利の地震」という作品がある。

この作品の深いところは、突如起った大震災は本題の前触れに過ぎない点である。

それよりも、地震を命からがら逃れるも、棄てようとした命、棄てられそうになった命それぞれが、地震を境に暴徒と化した民衆に奪われしまうという無情さに焦点を当てたい。

それが地震を通して命の尊さ、人間同士のつながりを感じた矢先のことだから、何のために地震から生き残ったのだという思いが一層募ってくるのである。

ごく限られた人物に焦点を当てているとはいえ、その話のスケールは非常に大きく、その静謐かつ残酷な場面も厭わない作者の一文一文は心に訴えるものがある。


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