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ボアルース長野入替戦の激闘

~集団で群れとなり泥臭く戦う~

「〝奇跡〟ではないと思うんですよ。まず選手を誇りに思います。そして対戦相手のしなが わさんに感謝しています。またあの日のことを話せるのは大変光栄に思います」控えめに、そしてこれ以上ないほど丁寧に語るのは、ボアルース長野・柄沢健監督。
今シーズン F1 最下位となったボアルース長野は、3 月 4、5 日に F2 優勝のしながわシティ と入れ替え戦を戦った。第 1 戦に敗れ、第 2 戦も第1ピリオド終了時点で 0 対 2。絶体絶命 の状況の中、第2ピリオド最後の 20 分で 3 ゴールを挙げひっくり返し、劇的な F1 残留を 決めた。この大逆転劇を多くの人は〝奇跡の残留〟と呼び、フットサル界の大きな話題とな った。
最後の 20 分に何が起きていたのか。いや、何を起こしたのか―――。 「選手も誰 1 人として奇跡とは言ってないですね」。 〝奇跡〟ではない歓喜の瞬間までの軌跡を、柄沢監督の言葉で綴る。

 「集団で群れになり泥臭く戦う」

監督に就任したのは、シーズン途中の去年 10 月。横澤直樹前監督が第 1 節から 9 戦全敗・ 最下位となり退任し、厳しい状況の中での船出となった。
最初に選手に伝えた言葉は「集団で群れになり泥臭く戦う」。柄沢監督の哲学である。 「横澤はセットプレーを中心に攻撃を重視してやってくれていたのでそれは継承しました。 私は守備のところで群れになりたかったので、守備をひたすらハードワークして、味方のた めに走ってボールを奪うことだけをしました」。まずは守備を強化し直し、泥臭くボール奪 取することを徹底したという。
初勝利を挙げたのは監督交代から 1 ヶ月余り。ホームでのエスポラーダ北海道戦に 3 対 2 で競り勝ち、有観客のリーグ戦では実に 2 年 10 ヶ月ぶりの勝利となった。決勝点を挙げた 米村も「チームのやるべきことがぶれなかった」と言い切った。


翌週の Y.S.C.C.横浜戦にも勝ち、初の連勝。守備力、そしてチームの雰囲気が「集団で群れ」 となってきていたことは間違いない。キャプテンの青山も「フットサルが本当に楽しくて、 今までで一番充実し熱くなれた」と当時を振り返っている。

「一体感」「仲間のため」

青山の言葉を監督に伝えると、少し照れながら、自身の指導について話し始めた。 「一体感ですかね。成長しながら一体感が増して、それが勝負のところで活かされる、こんな素晴らしいスポーツはないですよね。指導者はもちろん技術的なこと、戦術も知っていな ければいけないですけど、それを全部事細かに教えることが本当の〝教える〟ではなくて。 例えば 1 対 1 の練習を一生懸命やらない選手がいたとしますよね。一生懸命やることは自 分のためにもなりますけど、本当は『相手のためになっている』。自分だけでなく仲間も成 長していく。だから人として一生懸命やることはめちゃくちゃ良いことなんだよって私は 伝えていきたいです」。
一生懸命やり、仲間との一体感を生む・・・それがチームに浸透し始めたのが去年の冬。 しかしその後チームは再び苦境に立たされ、F2 降格の危機にさらされることになる。

「人生変わるかな」

東海大三高校(現・東海大諏訪)を経て、地元長野県の社会人チーム・日精樹脂工業サッカ ー部でプレーしていた柄沢監督(当時選手)が、フットサルに出会ったのは 2001 年。ふと 立ち寄った書店で偶然手にしたのがフットサル専門誌だった。ブラジル短期留学の募集記 事が目に止まった。直感で「人生変わるかな」と思い、迷わず応募した。中学生の頃に少し だけだがフットサルの経験はある。フットサルなら夢を追えるかもしれない・・・そんな想い でブラジルに渡ったのが 27 歳の時。しかし周りは J リーガーにはなれなかったものの実力 のある選手ばかり。その中には 3 歳年下で前監督の横澤直樹さんもいた。「夢を追ったけど 夢破れていく」3 週間を過ごしたという。再びブラジルに渡ったのは 2 年後。今度は指導者 の勉強のためだった。そこでも横澤さんが一緒だった。
去年 10 月、奇しくもブラジルで苦楽をともにした後輩から、監督を引き継ぐことになった。 「横澤から『長野県出身の柄沢さんがチームを背負っていかなきゃいけないんですよ』と
 
LINE をもらい、横澤のためって言うのは大げさですけど覚悟を持ってやらなきゃいけない と強く想いました」。初めての F1 監督へ、柄沢監督の人生はブラジルではなく、故郷長野 で大きく変わることになる。

「パワープレーの守備でやられ・・・」

監督就任後、守備力は抜群に上がったものの、対戦チームのあるプレーへの対応に苦しんだ。 「(相手の)パワープレー時にやられましたね」。
『パワープレー』とは、負けているチームが逆転をするために行う戦術で、5 対 5 のフット サルでは、ゴールキーパーも攻め上がることで、相手陣内で数的優位をつくって攻め込むも のだ。「パワープレー」を使って逆転勝利へ導く戦術は、フットサルではサッカー以上に頻 繁に行われている。
ボアルースは試合に追いついたり、リードしながらも、相手チームの「パワープレー」攻撃 に対応できず、逆転負けを喫する試合が続いていた。自信を深めたはずの守備も強豪チーム の「パワープレー」の前に歯が立たず、試合終了間際数十秒でひっくり返される試合もあっ た。
そんな矢先、1月に就任した山蔦一弘コーチの存在が、再びチームの力を浮上させるきっか けとなる。
 
 「山蔦がパワープレーをやった方が良いんじゃないですかと」
元日本代表の選手だった山蔦コーチが 1 月に就任すると、指導の役割を分担するようにな る。映像のスカウティングや戦術・戦略を山蔦コーチ、柄沢監督はチーム全体のマネジメン トを担った。
すると就任前から、ボアルースの試合映像を繰り返し見てきた山蔦コーチからこんな提案 があったという。

「山蔦がパワープレーをやった方がいいんじゃないですか」


散々相手チームにしてやられてきた「パワープレー」を、今度はボアルースが攻撃の最終ア イテムとして繰り出そうと、「パワープレー」の練習に多くの時間を割くようになったのだ。 「山蔦が本当に熱い気持ちを持ってやってくれたのでそこは信頼できましたし、ここまで トレーニング出来るってことはないぐらいやりきれましたね」
柄沢監督がパワープレー攻撃の練習をしていなかったわけではない。「私のはドリブルとパ スの要素が 2 つ混ざっていたので、選手の精神的なプレッシャーも考えると難しかったで すね。山蔦のは、深さがあって幅がある。非常にシンプルなものです」
パワープレー攻撃時に入る5人は、足元のテクニックに長け、戦術理解度が高い選手が選ば れることが多い。負けていて得点を挙げなければならないだけに、ここ一番でのシュート力 やメンタルも求められるメンバーとなる。一方で攻撃の5人の疲労が溜まってきたところ で、「守備」を得意とする5人と交代し耐えしのぎ、再び攻撃の5人が送り込まれるという 繰り返しだ。メンバー交代自由のフットサルならではの面白さがここに凝縮されていると も言える。
 
パワープレーの練習が増える中、次第にチームの中で、攻撃の5人のセットと、前からプレ スをかける守備のセット5人に分けられた。「セットとセットで分けられると、やっぱり選 手としては色々な想い、不満やストレスもあったと思いますけど、どちらの選手も自分から 『俺やりますよ』と一生懸命やってくれました」。
シーズン中は、柄沢監督が考えたパワープレーを試合で使っていたが、その裏で山蔦コーチ が考えたモデルをひたすら練習していた。そのモデルは他のチームでもよく使われるもの だが、ボアルースがシーズンで使うことはなかった。これが後に激闘の入れ替え戦での秘策 となる。

 入れ替え戦前「集団で群れになれていなかった」

リーグ最終節で首位名古屋オーシャンズに敗れてリーグ最下位が決定、F2 王者のしながわ シティとの入れ替え戦に回ることになった。4年ぶりにチームを F2 に降格させるわけには いかない。現場スタッフだけでなく、フロントスタッフも練習に足を運んだ。元Jリーガー であるGMの土橋宏由樹さんもその1人だという。「頻繁に現場に足を運んでくれて、Jリ ーグでの入れ替え戦の経験をふんだんに伝えてくれて、ポイントポイントでアドバイスを くれました」。現場とフロントスタッフが一体となり、勝利への士気を高める一方で、選手 たちの想いは様々だった。シーズン後に引退を決意している選手、チームに残ることを決め ている選手、残るか移籍するかを悩んでいる選手・・・。モチベーションやマインドはバラバ ラだった。
「きっと気持ちは複雑な選手もいたと思うんですけど、実際トレーニングだけを見ている とぶつかり合い真剣にやり合ってるんです。話は全然しないんですけどね。それはセットが 分けられた時と同じで、気持ちは複雑でもトレーニングは一生懸命やっている」。だからそ れで良かった。
「一生懸命やることは、自分のためもそうですけど、相手(仲間)のためにもなっている」。 柄沢監督が一番伝えたかったことを、選手たちは図らずも実践していた。
それでも練習場は異様な空気が漂う日々が続いていた。すると柄沢監督は「集団で群れにな れていなかったので、練習前のミーティング、練習後のフィードバックで、クラブ目標であ る F1 定着を確認して、入れ替え戦で、人として選手としてチームとして成長しようと伝え 続けました。練習で常に選手と向き合い、山蔦が自ら選手として練習に参加して何回も話し

合い、私が士気を高め、選手は汗を床にしみ込ませるぐらいハードワークして身体をぶつけ 合いました」。選手と真剣に向き合い話し合いを重ねる中、チームは再び『群れ』となって いった。

激闘の入れ替え戦は「諸刃の剣」


3月4、5日。F2 優勝のしながわシティとの決戦を迎えた。F2 とはいえ、去年の全日本選 手権のチャンピオン。実力と勢いが備わっていることは誰もが知っている強豪だ。
4日の第1戦は前半松原のゴールで先制するも、後半あっという間に2点を奪われ、1点ビ ハインドの展開に。ここでパワープレーに出る作戦も考えられたが、柄沢監督と山蔦コーチ は「きょうあのパワープレーをやってしまうと相手にばれてしまうし、なおかつ1点差しか なかったので、次(5日)勝てばいい」と割り切り、その日は1対2のまま試合を終えた。
そしてもう後がない第2戦。勝てば F1 残留、引き分けか負ければ4年ぶりの F2 降格とい う運命の分かれ道。第1ピリオド17分にコーナーキックからしながわに先制されると、そ の44秒後にはカウンターをくらって追加点を奪われ、まさかの2点ビハインドとなった。 普通に考えれば、この時点で多くの人がしながわの勝利を描いていただろう。
0 対 2 で折り返し、ハーフタイムにロッカールームに戻ると、山蔦コーチは柄沢監督に提案 した。「後半頭からパワープレーで行きますか?」。2 ヶ月間、練習に多くの時間を割いてき たあの秘策だ。柄沢監督は「少し時間をおいた方が良いんじゃないかと思ったんですけど、
 
山蔦からは、3点取らないといけないので頭から行きましょう!と。(山蔦コーチ就任以来) ずっとパワープレーの練習をしてきて、『ここなんじゃないかな、もうこれだな』という直 感というか何かぐっと来るものがありましたね」。
そして第2ピリオド開始から、フィールドプレーヤーの上林がパワープレーのゴレイロユ ニフォームを着て、5人で相手陣内に5角形を作るパワープレーを初めて披露した。「試合 でやってこなかった形なのでしながわさんは、あれ?となったのかもしれません。上林はも う諸刃の剣ですよね。相手陣内に全員入るので、空っぽのゴールにポンと蹴られカウンター をくらうリスクもありましたから」。
ここぞで繰り出した〝秘策〟パワープレーが功を奏す。第2ピリオド28分、上林が1点を 返すとその5分後には、米村の長いスルーパスを田口が押し込み同点。この時点で2対2。 ただ引き分けのままでは、1勝1分のしながわに軍配が上がってしまう。


ボアルース長野は、第2ピリオドの〝最後の20分〟、「パワープレー」攻撃と「守備」の 5人のセットを交代に送り出しながら、休んでいる選手たちにはベンチで指示するという 作業を繰り返した。攻撃の5人には山蔦コーチ、守備の5人には柄沢監督が伝えた。


 「しながわの方はここでボールを奪うとかみんなで奪おうという、『群れ』にあまりなって なくて。意外と迷っている雰囲気があった。私たちはチームとして1つの群れになっていま した。攻撃の5人は点を取る、守備の 5 人は前から圧力をかけて絶対に点を取らせないと いう、最後の最後で集団で群れになり泥臭く戦ってくれたと思います」。
そして第2ピリオド35分、上林のシュートパスをゴール前にいたキャプテン青山が押し 込んで、ついに3対2逆転。劣勢をものの見事に覆して見せた。しかしまだ試合は終わらな い。残り 4 分余り。今度は、しながわが「パワープレー」に打って出た。思えば、ボアルー ス長野は今シーズン、相手にパワープレーを仕掛けられた中で勝利を収めたことがなかっ た。「守備」の5人が身体をはり、投げ出し必死に守った。「いつもは足が止まってきたなと か何か不安要素があるんですけど、あの日は選手の目も足も生きているし、ベンチの声もめ ちゃくちゃあるので、絶対大丈夫だと思いました」。
F1 残留は、パワープレーで逆転し、最後はパワープレーをされながらも勝ちきった初めて の試合だった。「私が就任して以来、選手たちはトレーニングから絶対諦めない姿勢を見せ 続けてくれました。キャプテン青山を中心にひたすらハードワークして味方のためにボー ルを奪って走ってくれたのは本当に誇りに思います。メンバー外になった丸山、内堀、本田 らもウォーミングから試合中もずっと盛り上げてくれた。『ナイスシュート!』『良いボール だぞ!』って前向きな言葉を聞いた時にはこみ上げるものがありました。そして後半開始か ら最後の最後まで、集団で群れになって泥臭く戦ってくれた成果で、本当に奇跡という言葉 はないんじゃないかなと思います」

「夢・希望・感動の共有

柄沢監督は、その瞬間を再度味わうかのように言った。「F1 王者の名古屋は私たちが残り2 分まで勝っていても、ひょうひょうとして目の色1つ変えずにパワープレーをしてゴール を決めてくる。私たちもこれを毎回やり続けることで、見に来てくれる皆さんが、フットサ ルの見方を変えてくれるんじゃないか。どっちに転ぶか分からない中で、最後まで諦めずに 泥臭く戦うことは本当に素晴らしいと思いました」
最後にもう一度だけ聞いた。「なぜ残留できたと思いますか?」 「クラブ力ですね。クラブの理念、若林社長からも言われていますが、『夢・希望・感動の 共有』まさに皆さんと共有できたと思います。サポーターが会場に掲げてくれたメッセージ もとても力になりました。ここからが F1 を戦う4年目で本当の第一歩になれば嬉しいで す」。

ライター:武井優紀

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