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【自己紹介】「社会を舐めるな!」「お前はクビだ」自業自得な真面目系クズの末路がヤバすぎる【続き】

これ系のタイトルやサムネイルの記事等は極力見ないようにしています。時折負けて引っかかってしまいますが…。

自己紹介というか経歴紹介の続きですね。大学入学からスタートです。

大学入学~2年

さて、何とかA大に入学した私は、予想通り講義を漫然を受けオタクサークルに顔を出し家に帰るという、典型的な勉強しない学生になっていました。
大学入学時点こそ多少のやる気はあったものの、1年生のGWや夏休みごろにはすっかり消えていたと思います。時間があればソシャゲにネットサーフィン、サークル仲間と駄弁りつつ講義を寝て家でも寝る…今と同じじゃん。

自堕落な学生生活をしていた私でしたが、実は焦っていました。バイトです。2年生の夏休みになってもバイト経験がなかったのです。
アラサーの方ならわかると思うのですが、ちょうど高校生~大学生あたりに東日本大震災が発生しているんですね。当時はあれの影響か、求人側が強気に出ていたように思います。いや、私の面接が下手すぎるからかもしれません(今は後者の方が主だったんじゃないかと思います。必死さもなかったし)。

とにかく電話ではじかれ面接も受からず、2年の春まで引っかかりません。夏までダメだともう来年は就活…と思っていた夏休み直前、やっとバイトが決まりました。ダメもとで応募した飲食店のホールです。素直に喜びました。

これが失敗の連鎖を呼びます。

失敗①サークルをやめてしまう
「バイトとサークルを兼ねるのは無理だ!不器用な自分のことだから失敗するに決まっている!本当に嫌だけどサークルをやめよう!」と勝手に限界をを悟り、サークルをやめてしまいました。そこでできた友人とはしばらく付き合いがありましたが徐々にフェードアウトしていきました。友人づきあいの苦手な私が自分から関係を切る。大オウンゴールです。

失敗②バイト先の人間関係
店長から同僚に至るまで、相当数が今まで接してきたタイプと毛色が違う人たちでした。時間が経つにつれて仕事上の会話くらいはできるようになりましたが、とにかく怯えていました。

失敗③仕事ができない
想像以上に仕事ができませんでした。教えられたことができない、気が利かない、注文を連続で間違える、レジ金ミスを起こすetc…。
「一応大学生でしょ?仕事舐めてる?このままだとクビだよ」は先輩の言葉です。タイトル回収ですね。

失敗④シフトに入らない
仕事が覚えられないにしても回数をこなせば体に染みつ……いたのかもしれませんが、とにかくシフトに入る数が少なすぎました。皆稼ぐのに必死です。そんな中で一人パッとしないし日曜は休みたいなんて奴がいれば喜んで後回しにするでしょう。

失敗⑤すぐやめる
心が休まる場だったサークルをやめ、自分の無能を知り、職場でうまくいかず、大して稼げもしない。何もかもが思い通りにいきません。その年の12月に嫌になってバイトをやめました。半年ギリギリもったというべきか、半年しかできなかったというべきか。実働時間はもっと少ないでしょう。

大学3年~無職

3年生になりみんなが就活に向けて動いている頃、私は完全に腐っていました。バイトや選択の失敗を悔やみ、社会への恐怖を抱き、迫りくる卒業と就活に恐怖する日々。しかし何か行動をするわけでもなくただ時間だけが過ぎていく。
あっという間に4年生になりました。さて、何もできていません。数少ない友人から得た情報を頼りに何社かの企業や公務員試験に挑むも全滅。親には「頑張っているから」と言いつつ大学のパソコン室や図書室で時間をつぶす日々。講義だけは出ていたので単位は心配ありませんでしたが、「自分から求め、動き、学んだ」とはとても言えません。

4年の秋になり応募できる企業数に限界が見えた頃、とうとう親に白状しました。

「まともに就活ができていない」「社会が怖い」「何をどうすればいいか、もうわからない」

泣き言をいう私に親は

「高校の頃から、いや中学の頃からお前が心配だった。どこかでこんなことになるかもしれないと思っていたし、すんなりいくかもしれないとも思っていた。だが悪い方向に転がってしまった」
「働くだけが人生じゃない、なんて言えない。どこかでお前には働いてもらうし、そのための準備もしてもらう。だが今すぐじゃなくていい。大学に残るお金は出せないが、しばらくは家にいていい」

寛大な返事をくれました。しばらく後に夢で同じ光景を見て、情けなさに涙が出たのを覚えています。

いらすとやさんは神

大学を卒業し数少ない友人たちが働き始めるころ、僕は家にいました。
と言っても引きこもっていたわけではなく、親に白状してから通い始めた資格試験の予備校には通っていました。そこではまたも悪癖を発揮して徐々にサボりだし、失敗しました。
流石に進路変更し、次は既卒枠での就活を狙いはじめます。しかしこれまた数社の応募で挫折。無職のまま1年が経過しました。
焦りと劣等感だけが募ります。しかし将来へ向けて動く姿勢だけは見せておけば面倒は見てくれる生活に甘えたのも事実でした。無職2年目の夏、油断していた私を衝撃が襲います。

父の入院です。

入院自体は短いものでしたが、大黒柱の不在で自分の生活が薄氷の上で成り立っていることを実感しました。使うことを渋っていた若者支援系の会社や就職エージェントへ頼る決心をし、状況は急速に動きます。

秋にIT業界への就職を目標に決め、冬に面接対策と応募を行い、無職2年目がちょうど終わり3年目に突入するはずの4月1日に、私の姿は狭い会議室にありました。就職完了。もう、戻れない。

就職~今

就職したのはいわゆるIT土方を現場へ派遣する会社でした。
まともな知識も経験もない私を、職場の方たちは大変暖かく迎え入れてくれます。根気良く仕事を教えてもらい、失敗と成功を繰り返しつつも2年、3年と時間が過ぎていきます。
私にとってみれば拍子抜けでした。最初の数か月こそ「こんな会社辞めてやる!」「周りの連中が俺のことを見下している!」なんて息巻いていたわけですが、2年ほどすれば仕事や会社、人間関係にも慣れて立派な無気力社会人が出来上がりました。

恐らく配属先と割り当てられた業務の運がよかったのでしょう。転職したり次の現場に行けばまた地獄を見るかもしれません。しかし一度ぬるま湯と思い込めばずっとそこにいてしまう性な私は、何の行動も起こさぬまま汎用性のない特定の動作ばかりを覚えつつ今に至るわけです。

まとめ

ここまでが私の人生です。
色々脚色したり補完している部分もありますが、ちゃんとなぞれたかなと思います。書いてみて当時のことなどを思い出し黒歴史に頭を抱えたりなどしました。

とりあえず時間はかかりましたが自己紹介完結ということで、次は何を書きこうかと考えましたが……、何も思いつかない。
ではまた。ありがとうございました。


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