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試し読み:『正しいものを正しくつくる』イントロダクション

2019年に刊行し、ロングセラーとなっている『正しいものを正しくつくる プロダクトをつくるとはどういうことなのか、あるいはアジャイルのその先について』(市谷聡啓 著)より、「イントロダクション」をご紹介します。


イントロダクション:
正しいものを正しく作れているか?


少し昔話から始めよう。

ある時、あるところに、「アジャイル開発」に憧れを抱いていた男がいた。その男にとって、アジャイル開発とは本の中にしかない世界だった。長らく勉強を重ね、いよいよその実践ができる境遇を手に入れた。初めてのアジャイル開発。男は興奮と期待がふくらむのを感じながら、これまで本やコミュニティで学んできたことを実行した。最初は、作るべきプロダクトがどういうかたちであるべきなのかチームも関係者もわからないため、試行錯誤が続いた。やがて作るものの方向性も定まり、開発メンバーはしっかりアウトプットを出していくようになった。進行は順調になったと思われた。そうして1ヶ月が過ぎたところ、関係者から思いがけない言葉が口にされた。

「このアプリ、本当にちゃんと完成するのですよね…?」

関係者とチームとの認識には、大きな隔たりがあった。チームはこれから先のプロジェクトの残り時間の中で、何を作るべきかあたりをつけながら可能なかぎりで作っていくつもりでいた。だが、わかってきた構想をすべてかたちにするのは不可能であり、ここから開発する範囲を絞っていくものと当然のように考えていた。関係者も同じ思いだろうと考えていたが、そうではなかったのだ。彼らは、2ヶ月後のプロジェクト終了時にはイメージしているものがすべて完成すると信じていた。イメージしているものとはもちろん最初の構想段階にはなく、かたちにする過程で見出せたことだ。プロダクトをどこまで作り込むのかのすりあわせは難航した。そしてそれは、プロジェクトを終えるときであっても合うことはなかった──

こうして男は初めてのアジャイル開発で強烈な洗礼を浴びた。それからのち、数々のプロジェクト、プロダクトづくりを重ね、やがてアジャイルに作るとはどういうことなのかを身をもって学び取っていった。

そしてまたある時、男は違和感を覚えるプロダクトづくりに出会った。作るべきモノの構想を関係者と作り上げたものの、どうもそのそもそもの必要性が感じられない。まだ、作るのは早いのではないか。そんなアラートが頭の中で鳴り響いていた。プロダクトオーナーもイメージは言語化できてはいたものの、本当にこのイメージで想定ユーザーに使ってもらえるのか、役に立ててもらえるのか、全く自信に欠けていた。一方で関係者は、予算が取れているからと、とにかく前に進もうとする。男の違和感は抑えきれないくらい大きくなっていた。その違和感の正体は何なのか。向き合い続け、そして男は気づいた。何を作るべきなのかの構想を全員で練ってきたが、その内容には何の根拠もないことに。このプロダクトがユーザーに使われる理由は、何ひとつ見出せていなかった──

この「男」とは、私自身のことだ。本書は、これまで私が経験してきたアジャイル開発での苦闘、その過程で直面した数々のハードルを乗り越えるなかで培われた知見をベースに書かれている。

本書で扱うテーマは大きく3つある。1つは、「アジャイルに作る」ことで直面する「不確実性」への適応について。「アジャイルに作る」とは、作ることを通じて学びを得る活動にほかならない。得られた学びをプロダクトづくりの中でどのようにして受け止めるのか。受け止め損なうと、様々な背景や思惑を抱いて集まってきている関係者、チームの期待に応えられず、プロダクトづくりは破綻する。最初の昔話がその例だ。

もう1つは、プロダクトとして「何を作るべきか」をどのようにして見定めるのかについて。「何を作るべきか」の構想は、プロダクトオーナーが主導的な役割が果たすだろう。だが、そうした想定こそが、無意識に役割にもとづく「壁」を作り出してしまう。結果として、誰にも見向きされないプロダクトを抱えて途方に暮れることになる。2つ目の昔話がこれにあたる。プロダクトを作っていく状況に問題が潜んでいるのを誰一人認識できていなかったことを物語っている。

そして3つ目として、こうした問題を乗り越えた先にある境地について。私たちのプロダクトづくりはどこへ向かうのか。その歩みが止まることはない。

これらのテーマを、6章を費やして語り明かすことにする。思えば、昔話にある頃の私は感性で動くことが多かった。「アジャイルに作る」の守破離の「守」の上で、その範疇をはるかに越えて迫りくる有象無象のリアルな課題について感性で乗り越えていた。それを少しずつでも言語化できてきたのは、コミュニティとの関わりがあったからだ。コミュニティの場で、誰かに何かを伝えるためには、当然言語化できなければならない。そうした自分の言語化から自分自身が学び直し、実践を重ねてきた。本書は、その言語化のひとつの集大成と言える。

こうした実践と学びに向き合う中で、私は「正しいものを正しく作る」という言葉に辿り着いた。プロダクトづくりのひとつの理想を表現した言葉と言える。技術を、プロセスを、コミュニケーションのあり方を、いくら正しくあろうとしても、間違ったもの(誰にも必要とされないもの)を作っているかぎり到達できない境地だ。では、何が正しくて、何が間違っているのか?

現在のプロダクトづくりは、この問いかけにはっきりと答えるのが難しくなっている。私たちが取り組むプロダクトは、これまでにない新たな体験の提供や仕組み化に挑戦するものが増えてきている。そのような領域では、人に必要とされるプロダクトとはどうあるべきなのかという正解を誰も持ち合わせていない。そして、正解に必ず辿り着くような方法論もあるわけではない。確かに言えることの方が少ない、不確実性の高いプロダクトづくりに臨んでいると言える。そんな中で、何を頼りに進んでいけるだろうか?

そこで先の言葉、「正しいものを正しく作る」が拠り所になってくる。「絶対的な正しさがあるので、それを見つけ出そう」ということではもちろんない。この言葉に価値が生まれるのは、問いにしたときだ。

「正しいものを正しく作れているか?」

正解がない世界では、自分たちがやっていること、向かっている方向が、誤っていないか問い続けるしかない。状況を漸次的に進めることから学びを得て、それに適応し、また漸進する。これが、不確実性の高いプロダクトづくりで求められることだ。

この本には、これまで不確実性への適応に挑み、そこから私が学び取ってきたことをまとめている。特にこの5年は、本書で示す「仮説検証型アジャイル開発」の実践と応用の期間にあたり、スタートアップやベンチャーの新しいサービスづくり、大手企業での新規事業づくり、近年では霞が関のプロジェクトでの仮説検証とアジャイル開発の適用を行ってきた。こうした実践の中での学びの着地点のひとつとして、本書を提示したい。

構成について説明しておきたい。第1章では「なぜプロダクトづくりがうまくいかないのか」という入り口を設けている。第2章では、最初の入り口をくぐり抜けるために「プロダクトをアジャイルに作る」ことについて解説する。第2章だけでは1つ目の昔話を乗り越えることができない。第3章で「不確実性への適応」をするための具体的な戦い方を示す。ここは本書の前半における山場にあたる。後半の第4章は、次に直面する問題を提示する「アジャイル開発は2度失敗する」だ。2つ目の昔話で何が起きていたのか、解像度を上げて明らかにする。第5章で「仮説検証型アジャイル開発」の全容を示すことになり、「何を作るべきか?」の問いにどのように向き合い答えていくかの術を手にすることになる。そして、最後の第6章。ここで最後のテーマ「私たちのプロダクトづくりはどこに向かうのか」にたどり着き、「ともに作る」というあり方を提案する。

この構成に戸惑う読者もいるかもしれない。仮説検証型アジャイル開発という考え方を体系的に整理して伝えるのであれば、4章→5章→2章→3章という流れで構成した方が適している。そうしていないのは、私自身が理解し、実践し、その都度壁にぶちあたり、乗り越えた流れを再現するのをとったためだ。どのような立派な話にも、昔話で示したような手痛い失敗がその下支えになっている。結論ありきできれいに型を示されたとしても、「そんなものか」という受け止め方になってしまうだろう。なぜそこにたどり着いたのかを、私の軌跡(ジャーニー)を追体験するように読み進めてもらうことで体感してもらいたいと考えた。

とはいえ、読み進める中で現在地がどこにあるかわかるよう、先に本書の全体像を示しておこう。

また、本書は本文と脚注の2段構成になっている。基本的に本文を頭から読み通していき、本文中に番号が現れたら脚注の内容を参考に読み進めてもらいたい。

この本は、プロダクトづくりに関与するすべての人たちに向けて書いている。

まずはプロダクトチームをリードする立場の人、あるいはその位置にこれから立とうとしている人。そういった皆さんには是非全章を読み進めてもらいたい。また、プロダクトチームを外から支援する組織マネージャー、プロダクトマネージャーの方々には、現場やチームのあり方を理解するための本となるだろう。

次に、プロダクトオーナーの皆さんに向けて。プロダクトオーナーは本書の主人公の一人と言える。特に第4章は、プロダクトオーナーが抱える課題をその他の役割の人たちとの間で共有できるようになるために書いた。プロダクトオーナーは孤独になりがちだ。なぜそうなるのかを明らかにしている。開発チームとのコミュニケーションのために、第2〜3章にも目を通してほしい。

さらに、チームを構成するプログラマー、デザイナーに向けて書いている。作り手の皆さんには、チームでプロダクトを作るとはどういうことなのかを考える機会になれば幸いだ。プロダクトの中身を決めていくのは、リーダーやプロダクトオーナーだけというわけではない。プロダクトの命運は、作り手の指先にある。お互いがどんな仕事の進め方をすればより可能性が広がるのかを想像し、チームで言語化してもらいたい。

なお、「スクラム」を俯瞰する第2章を書いているのは、まだアジャイル開発についての知識や経験が浅い人に向けての入場口とするためだ。とはいえ単にスクラムガイドをなぞるのではなく、私自身の解釈を加えている。「いまさらスクラムなんて。知っているさ」という人にもご一読いただきたい。スクラムは、読み手側の状態が進んでいると、向き合うたびに発見がある。スクラムガイドにも必ず目を通してほしい。さらにアジャイル開発についての学びを広げたい方は巻末の参考文献を参考にしてほしい。私がアジャイルについて語れたことはまだまだ一部だ。ここから、広大な学びが待っていることだろう。

一方、独自の理論や信じる方法論を既に持っていて、その理論でもって突き進んでいこうという人に向けては書いていない。問いに対する答え方は唯一なわけではない。本書の中で書かれていることをそのとおりに実施すべきだと言うつもりは全くない。むしろ、多様な論が立ち、実践されることでプロダクトづくりの領域はより進んでいくはずだ。そう、本書の根底には、「多様性」という重要な概念が存在している。第1章で示すとおり、プロダクトの中身やその開発に関わる人の多様性が広がったため、プロダクトづくりがどうなるかわからないという不確実性を引き寄せた。しかし最後に示すとおり、その不確実性に立ち向かうための手がかりもまた多様性にある。どういうことなのか、一章ずつ段階的に明らかにしていく。

さあ、プロダクトづくりを巡るジャーニーを始めることにしよう。


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