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谷川俊太郎の美学と荒川洋治の実学

谷川俊太郎は美学の人だと思う。谷川俊太郎の詩は淀みがない。淀みなく、その詩の目的とするところにまっすぐに行く。小学校の教科書にも載るだろう。朝のリレーでは、バトンを落とすことなく、きれいに地球を一周する。孤独もまた、透き通る。うんちの詩を書いてもきれいだ。

詩のボクシングというイベントがあり、谷川俊太郎がねじめ正一に勝利した。このことについて、確か荒川洋治が書いていたように思う。見つからないのでうろ覚えで書くのだが、谷川俊太郎の言葉は、テクニックで、身体からでていないというようなことだったと思う。ねじめ正一の身体は商店街で、八百屋のねじり鉢巻をさらに絞るようにして、そこから言葉が連射される。谷川は、そんなタメはいらない。

僕は荒川洋治が好きで、「美代子、石を投げなさい」という詩がとくに好きだ。荒川洋治の、態度表明とも言えるこの詩では、誰もが批判することのない聖人・宮沢賢治が取り上げられる。荒川は、その宮沢賢治に、石を投げる。引用しよう。

詩人とは
現実であり美学ではない
宮沢賢治は世界を作り世間を作れなかった
いまとは反対の人である
このいまの目に詩人が見えるはずがない
岩手をあきらめ
東京の杉並あたりにでていたら
街をあるけば
へんなおじさんとして石の一つも投げられたであろうことが
近くの石 これが
今日の自然だ
「美代子、石投げなさい」母

ぼくなら投げるな ぼくは俗のかたまりだからな
だが人々は石を投げつけることをしない
ぼくなら投げる そこらあたりをカムパネルラかなにか知らないが
へんなことをいってうろついていたら
世田谷は投げるな 墨田区立花でも投げるな
所沢なら農民は多いが
石も多いから投げるだろうな
ああ石がすべてだ
時代なら宮沢賢治に石を投げるそれが正しい批評 まっすぐな批評だ

荒川洋治『坑夫トッチルは電気をつけた』より「美代子、石を投げなさい」の一部

私は、この荒川洋治の宮沢賢治評をそのまま、谷川俊太郎評として受け取った。そして(記憶違いかもしれないが)詩のボクシングでの谷川を、さきほどのように評した。ちゃんと石を投げたのだ。その荒川の、福井新聞に寄せた谷川俊太郎追悼文の最後は、「ことばにならないほどさみしい。」というものだった。詩人をして、「ことばにならない」というさみしさ。それは石を投げる先を失ったかなしさかもしれない。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師


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