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三月は何故こんなに悲しいのだろう。【卒業】

この前、卒業式を迎えた。


華やかな振袖に身を包んだ仲間達。

振袖に映える顔は、希望に満ち溢れていた。私もその一人だっただろう。


この先の未来はどうなるかわからない。


コロナ禍で、先行き不透明になった社会。コロナがある前と今と、見える世界が全く違う。新卒の採用数がゼロになった会社もある。私達の未来だって、先行き不透明だ。


何年後か。


ブラック企業で鬱になるかもしれない。

会社をクビになり、無職真っ只中にいるのかもしれない。

人間関係に悩まされても辞められず、会社にしがみついているのかもしれない。


そんなことを考えては、混沌とする日々。


卒業式はただ学生生活を卒業するだけではない。


ぬるま湯に浸かっていた日々からの卒業であり、今まで仲間内で「何となく」楽しければ良かったその「何となく」からの卒業なのだ。


これからは「はっきり」と自分のキャリアを築かなくてはならない。



私を守るものは何もない。これから守るものを創作していく日々が始まる。


見慣れた顔を見ながら、彼らの顔を忘れてしまう日を思い描く。それが何とも言えない矛盾で、ただ胸が締め付けられる。


一期一会とはよくできた言葉だ。


今はSNSで、離れていても繋がることはできる。

江戸時代の人に比べれば、幸せなことなのかもしれない。でも、私は悲しいのだ。

祖父母が死んだ時ですら、後悔したことは何一つ無かったのに。


大学時代でできた繋がり、一つ一つの瞬間。

共に流した汗や、交わした議論。目の前で見た涙。


SNSなんかじゃ伝わらない。


それを本当に大切に、大切にしてきたからこそ悲しい。若さは一瞬で、無駄な時間なんて一つも無い。




仲間達がこれからどう歩いて行くのか、わからない。


でも、学生時代の「繋がり」というものを無くした後でもまた再会することがあるのなら、それもまた縁だろう。




皆晴れやかな未来を祝して。三月は悲しい季節だ。

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