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理想と怒りの関係

怒りというのは一番自分らしさを表す感情です。

周りを気にせずに怒りをぶちまけるときにだけ人間は一瞬自由になり、
同調圧力や社会の道徳といったものから解放され、
そして普段から感じていた不平不満を言えるようになる。

確固たる信念や願望がなければそもそも怒りを怒りを感じる事すらできないのです。この感情を心のコンパスとして正しくコントロールできれば充実した生活を送ることができるでしょう。

怒りのコントロール

大人につれて癇癪を起す頻度は少なくなっていきます。
これは怒ってもしょうがないという考えが、
癇癪を起してもどうにもならないという学習の結果生まれるためです。

大人になってもなお癇癪を起し続けるようであれば精神の異常が疑われます。

癇癪は怒りによって引き起こされますが、癇癪を起すのがいけないからと言って怒ることがいけないというわけではありません。

怒りは時に強いパワーをもたらし、何かを実行しようとする意志を強める働きがあります。

自分と向き合い、何故自分が怒っているのかを理解できれば怒りは押さえつけるべき敵ではなく、頼もしい味方になってくれます。

逆に考えることをせず怒りという感情に肉体の主導権を渡してしまえば、
攻撃と破壊という行動にしかつながりません。

なぜ怒るのか

最初に書いた通り怒りというのは一番自分らしさが現れる感情です。

何故か。
それは怒りは常に自分の中にある願いを訴えるものだからです。

子供の癇癪というのは欲しいおもちゃが買ってもらえないなどといった不満に対して引き起こされますが、裏を返せば
「これが欲しい!」
という訴えであるとも取れます。

大人の場合で怒りをあらわにしやすい人間というのは、
頑固者であったり、強い信念や理想をもつ人など
頭の中で何が正しいかというイメージをはっきり持っている方です。

もちろん大人が癇癪をおこしてもただ情けないだけなので、
大人の怒り方というものがあります。

子供の癇癪、大人の怒り方

時間が過ぎると欲しくなくなるもの、
例えば甘いものですね。

この場合は癇癪を起して叱られた後に

「まあ、いいか。」

と流せるので、特に後々影響はないです。

しかし、本当に欲しいものが手に入らず、
癇癪を起してもどうにもならない場合はどうでしょう。

欲しいのに手に入らないという事実を頭の中に置いたままでは
繰り返し癇癪を起す羽目になり、
かといってどうすることもできない。

では忘れるしかありません。
そして忘れることに慣れると何も望まない人間が出来上がります。

ですが少しでも建設的に怒る方法を模索すれば
この問題は解決されるかもしれません。

例えば、親に対して

「どうして買ってくれないんだ!説明を要求する!」
「どうすれば買ってくれる?!」

という風にエネルギーを使えば激しい怒りを纏い論理を
用いて責め続ければ親も根負けしてくれるかもしれません。

もしそれでも自分の欲しいものが手に入らないようであれば
新たな問題の発見にもつながります。例えば

うちの親は必要以上に厳しかった。
うちの親は論理的でなかった。
我が家はかなり貧乏だった。

など自分の願望がなぜ叶えられないかが解明され問題解決への筋道が建てられます。

どうしてウチは貧乏なんだと怒り、バイトに励むのもよし。
親と話し合ってお互いを理解する道を探すのもよし。
児相に相談して早めに自立できるような計画を立てるのもよし。

怒りというものは正しく扱えば問題を解決してくれます。

さいごに

自分のりをただただ押さえつけるだけでは無気力な人間になって、
しかも時に暴発させてしまいます。

とりあえず怒りを感じるときは冷静に自分の精神状態を把握する
という訓練を積めば、自分が何を望み、
どこへ向かおうとしているかが理解できるようになり、
人として成長することができます。

怒りは激しければ激しいほど自分の心の叫びを強く反映させています。
どうか押さえつけずにそっと自分の中の声に耳を傾けてください。


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