特定不能の広汎性発達障害持ちで「生きづらい」

自分が「特定不能の広汎性発達障害」(そのときは「その他の心理的発達の障害」?と言われたのだが、念のためこちらを言っている。そのときの診断の様式からだと思うが、違いがよく分からない)と診断されたのは38歳のときだ。その頃、就労移行支援事業所に通所していて、あるときにスタッフの方が自分のやり取りなどの様子を見て、「あおきさんって、発達障害なのでは?」と言われたのがきっかけで調べるようになって、あるとき別の病院で知能検査と心理検査を受けたのちに、TOSCA(東京都発達障害支援センター。千歳船橋にある)にコンタクトを取って、自分のことを生育歴だとか日常の困難や癖など事細かに書いて郵送し、それから何度か面談をして、そのとき住んでいた石神井公園に発達障害について詳しい先生がいらっしゃるとのことで(今現在は異動されている)、今も通院しているそのクリニックにコンタクトをし、簡単なテストと何度かの診察をして、その結果、「その他の心理的発達の障害」であるとの診断が降りた。

「特定不能の広汎性発達障害」とは何かということで、LITALICOさんのリンクを張っておきましょう(ちなみに自分が通所していたのはLITALICOの前身のところでした)。

その後、今まで自分が生きづらかったのはこのことがあったからなんだなと感じ、今でもいろいろと腑に落ちないこともありながら、数年前には障害年金も申請が通って(今年更新…できるのか?)、今は介護の入浴介助をメインにやっている。それでも生活の中では意思疎通が思うようにできなかったり、簡単に思うようなことがとても難しかったりで、あの頃と生活環境が変わった今でも、困難は多くある。

現在44歳だが、自分は産まれて1年ほど経っても人より喋りはじめが遅かった。当時大学教授をしていた父方の伯父が自分がひとりで遊んでいることが多く、他と交わらないために自閉症か発達障害を疑い、母が郡山だかどこかの病院に連れて行ったことがあると言われた(自分は福島出身)。そのときの記憶は曖昧で定かではないのだが、その後に自分がちゃんと言葉を話し始めて、このことは初めて言われるまで記憶の彼方にいたのである。そのときは母も深く気にしていなかったそうだ。

もしもの話をする。子どもの頃に、自分が自閉症ないし発達障害であることが分かってスルーされていなければ、自分はどうなっていたんだろう。もしかしたら、今の生活とはまるっきり違うものになっていたのかもしれない。東京にもいなかったのではないか。

たとえばそれはふつうに学校に通って、ふつうに大学に通うか就職していたのかもしれないけれど、自分にとってその過程での「ふつう」が困難だったから、外に出るとか人と何かするとかも怖くて制限してしまったかもしれない。引きこもりだって想像できる。「人と違う」ことで自分に蓋をしてしまうことは容易だからだ。けれどそれを親が許さないのは目に見えていた。だから自分は特別学級に行くことはなかったし、やりたくなかったものもたくさんやらされたのだと思う。

そういえば小学校に特別学級があって、一般的なクラスに入っていた自分はそのクラスに行って掃除などをしたのを覚えている。あるとすればそれくらいなのだが、仮に自分が特別学級に居たらどうなっていたんだろうな。ある程度いじめは回避できただろうけど、やっぱり自分がこれまで生きた現実と変わりないんだろうな。「特別学級に居る子=どこか違う子」という刷り込みが自分にもあったから。からかいの対象になっていたのも見ていた気がする。

今の生活でも、たとえば箸をうまく使うことができない。焼いた魚をうまく箸で分けることができない。「そういうの教えてもらわなかったの?」と今のパートナー氏や家族の人にも言われるのだけど、箸だけでなく、生活のあらゆることを教えてもらった記憶があまりない。だから世間一般で言われるような常識を自分は殆どと言っていいほど知らない。理解するのに時間が相当掛かるからだ。それらを言われすぎて、居心地が悪いこともある。

そして自分は何処に居ても「馴染めない子」で、肯定されるより否定されることのほうが多かった。馴染めなさは今でも続いていて、孤立や孤独を感じることが少なからずある。だから「人と同じであることへの強い違和感」があるのだ。このあたりは自分がここで書いているにも如実に表れている。読んでいただければ分かると思う。そして2019年12月から自分の気持ちをまとめようと日記?のような記録を書いているが、その中でも自分の「自己肯定感のなさ」は如実に表れている。

自分のような人間の文章なんて読まれることは少ないだろう。自分に障害があるからといって読まれるものではない。「だから何?」と言われるのが関の山だ。けれど「生きづらい」には変わりないのだ。病院での検査での結果として「言葉の理解が苦手、指示の理解が困難、相手に自分の考えを簡潔に伝えられない」んだから。いじめのトラウマからか昔から人と接するのが得意ではないし、コミュニケーションが困難であることもそうだ、生活上のルールや人間関係の機微を捉えて理解することだって難しい。産まれたときから生きることの難しさに晒されて、思うようにならないことばかりがとても多くて、分からないからと聞くこともハードルが高くて、人間として生きているのが奇跡でもある。作文すら難しかった人間がこうしてブログなり詩やら日々の記録やら書いているわけだからな(小学校のときに支離滅裂と酷評だったのだよ)。それでも今の自分のまわりが本当に優しさで満ちているのは、こんな自分をダメなりにも知っているからだと思う。

何度も書いていることだけど、「生きづらい」のは相変わらずである。子どもの頃から生きることが難しくて、大人になってからも何度も希死念慮が起きているし、あの頃のような感覚のループが今でもあるし、簡単なことが難しいし、コミュニケーションが取りづらすぎるし、何よりそれらを克服せよと言われているみたいで肩身が狭い。こんな自分でもどこかで肯定されていたらまた違って世界が見えているのかと思うと、とても悔しい。

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