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50代後半で添乗員になった私、突きつけられた現実とこれからのこと

26年ファッション系の会社でPR業をしていた私が、四捨五入で60歳というときに飛び込んだのは、全く異なる旅行業の、添乗員という仕事です。いろいろな所に行けるし、いろいろな人と出会えて直接ありがとうと言ってもらえる・・・好奇心旺盛で外出好き、PR業で培った接客とお話上手、場を仕切ったりするのも慣れたものだから、私にもできるかもしれない! そう思いました。ところが、世の中はそう甘くはなかったのです。そして今や・・・

そもそもなんで添乗員に?

 26年同じ会社に勤めていました。もちろん大満足していたわけではありません。そろそろ定年という文字が見え始めたころ、お尻に火が付きました。このまま老人になっていいのか、もっと違うこともやってみたい、そうであれば体が動くうちだ、次は何をしたいのか、嫌いなことはしたくない・・・。会社の早期退職システムを使って退職しようと決めていましたが、頭の中はぐるぐるでした。

 葛藤の中で思い出したことがあります。とにかくお出かけ好きな私。一人はもちろん、人と旅行に出たり街歩きをするときは持ち前の探求心と好奇心から下調べを念入りにします。下調べの方が好きだと思うほどです。人と一緒の場合は、それをもとに、さも行ったことがあるかのように導くというのが常でした。そのたびに「添乗員やガイドさんみたい」と重宝がられたことが何回もあります。正直、得意な気分だったのです。

 そうだ、その道もあるじゃないか・・・と考えた矢先、たまたま添乗員募集の広告を見ました。これだ、と思いました。どうやら年齢制限はなさそうです。ほかの仕事と掛け持ちしてやれたらいい、と将来の道筋が見えた気がしました。

研修で初めて知った添乗業務の意味

 添乗員の資格を取るべく、私は添乗員派遣会社の研修に参加しました。添乗員は国家資格ではありませんが、協会があって資格が必要です。国内用と海外まで用のものがあり、まずは国内用の研修を受けました。ここで始めて添乗員の本来の仕事の意味を認識することになります。

 まず第一に添乗員に求められるものは「時間と行程の管理」でした。「旅程管理」が正式な名称であることからわかるように、何時にどこを遂行することです。そしてお客様の安全を守る、その上でいかに楽しんでいただけるか、でした。

道路音痴、数字音痴、早とちりの3悪

 業務の基本は日帰りバスツアーです。団体を運ぶのに最も適したものがバスだからです。日帰りでやや遠くに行くのには高速道路を必ず使います。もちろんバスの運転手さんがいますが、お任せとはいきません。

 運転をしないし車を持っている友人もいない私は、プライベートで高速道路を通ることがほとんどありません。ましてや車が時速何キロで何分かかってどこまで進むかなんて、考えたこともありませんでした。最近はグーグルマップやら高速道路情報アプリなどが発達していますが、使いこなしたことがありません。しかも自他共に認める電子機器音痴。渋滞情報によっての判断などできるのか、途方に暮れました。

 さらに輪をかけて、私は無類の数字音痴とおっちょこちょいです。普段からうっかり忘れ物や思い込み間違いも多々あります。もうぼけが始まったかと本気で怖くなったこともありました。時間の計算以外にもお客様の人数確認やお土産の数など数の把握は必須です。「だいたいこのくらい」は通用しません。正確さが求められる仕事だとつくづく痛感したのです。

 研修が終了して無事資格を取得したものの、心は不安でいっぱいです。漬物石を抱えるような気分で、とてもとても晴れ晴れしいなんてものではありません。本当にこんな私でできるんだろうか?

業務依頼には毎回神様に祈る

 添乗の仕事は定例もあるでしょうが、ツアーが確定するたびに依頼が来るため定期的ではありません。多くの添乗員さんが登録されていますし、ツアーも直近にならないと決定しないことが多々あり、こちら都合にはなりません。

 前日に参加者の代表に電話をかけて、確認する作業があるツアーもあります。訪問先への電話確認、バスの座席を決めること、場合によっては社内の配布物を人数分用意したりします。訪問先の観光案内や地域の知識を調べてバスの中のアナウンス用の原稿書くなど、前日までにすることはてんこ盛りです。

 会社の方からの忘れられない一言があります。「あなたは年齢がいっているから新人でも新人に見えない」と。だからおのずとお客様からの目も厳しくなるということです。失敗は許されないのです。

 参加人数が少ないと会社は儲けになりませんが、案内するには楽。どうか少ない人数でありますように、そして何事も起きませんように、何か忘れていませんように、・・・そう何度も神様に祈りました。

トイレのトラウマがつきまとう

 数字に弱いという最大の弱点とともに、身体的なことでも不安があることに気づきました。

 それは緊張するためなのか、トイレが近くなってしまうこと。高速道路で行く場合、たいてい1時間ちょっとで休憩を取ります。ドライブインでの休憩は15分が通常です。まずはお客様全員が下車するのを見送ります。その後車中で次の訪問先に確認電話を入れたりしていると、自分のトイレ時間が無くなってきます。繁忙期は施設が混んでいることもあります。添乗員だからといって割り込むわけにはいきません。怖くておちおち水分も取れなくなりました。

迷子のお客様に心臓がパンクしそうに

 バスでの移動は道路事情との兼ね合いですが、行程中の時間管理はお客様に関わってきます。立ち寄り先で解散したはいいけれど、時間通りにお客様が戻ってくるか、毎回毎回心配でなりません。

 少ない経験の中でも、一度かなり焦ったことがあります。広大な公園で足の悪い年配のお客様が、時間に戻ってこないことがありました。場内アナウンスしてもらってもダメ。ほかのお客様の手前もあるし、かと言って置いて行くわけにはいきません。途方に暮れて涙が出そうになりました。ここでも神様助けて! という思いです。20分程遅れて戻ってこられたときは、怒りと安堵でどういう顔をしていいのやら本当に困りました。

ありがたい一言がぼろぼろの自分を支える?

 ツアーでは最後に必ずお客様にアンケートをします。添乗員の判定もされます。これをまとめて提出するのも添乗員の仕事。当然改ざんは許されません。

 昔はバスガイドさんが同乗していて、観光名所の案内などもしていたといいます。近年はほぼ添乗員のみです。だから多少のガイドもします。基本は旅程管理なのですが、その点をお客様はわかってはいません。だからアンケートに「案内が少ない」と書かれるとがっくりします。時間に遅れるから少し早めに出発したら「もっといたかった」と、あったのにも心折れました。

 それでも、最後にバスを降りたとき「またあなたのツアーに参加したい」と言って下さったり、アンケートに「添乗員さんの笑顔がいい」なんて書いてあると、それだけで一日の苦労が一気に晴れるから不思議なものです。こういうことがあるから、添乗員は続けられるんだと思うのです。

怪我にコロナ、これが暗示するものは?

 まだ始めたばかりだ、何回かこなせば慣れるはずだ、と奮い立たせる自分とやはり向いていないんじゃないか、と葛藤する日々が過ぎていました。

 そんな折にプライベートで転倒して肘を骨折してしまいました。仕事ができなくなったのです。これは向いていないから止めれば、というお告げなのか、と思ったりしました。正直、少しほっとした気分にもなったのも確かです。

 もともと他の仕事と兼業を考えていたのですが、添乗員を始めてみると兼ね合いが難しいことがわかりました。生活のためには腹をくくって添乗の仕事をしないと、無収入です。全治3か月の怪我が治りかけて、もうしばらく頑張ろう、と決意を固めた矢先、襲ってきたのはコロナでした。

続けるかあきらめるか、ハムレット状態

 旅行業界はコロナの影響で翻弄されています。対策を施して人数を制限して遂行されたものもありますが、ガイドや運転手が感染した、などのニュースが流れるたび、自身の感染リスクのことも大いに考えてしまいます。

 過日noteのセミナーで50年続けていく仕事のお話をされていました。拝聴したのですが、そこで語られた「新しいことを始めればすぐにはわからない、慣れないこととできないことは違う。少なくとも2年はかかると思っている」という言葉にも、少し気持ちが揺れています。

 さて私はこれからも添乗員を続けていきたいのか、いけるのか。

 この先の世の中の状況がは見えませんが、この災いが去ったら、どうするか、ということでしょう。これをお読みの方、今日も葛藤を続けているダメダメな私に、ぜひ何かアドバイスいただけたらありがたいです。




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