白い花を咲かせる樹とのお別れ。
6歳の私がとても愛していた樹のことを、お話しします。
私は埼玉県の岩槻に住んでいて、まだまだその頃は自然が豊かな環境でした。
その当時、私の母は教育ママでしたので。
幼稚園の年長組を登園拒否して行かなくなった私に、小学校6年生までの勉強を一日数時間かけて教え込んでいました。
午後2時くらいにやっと自由時間をもらえるので、それから私は家の前の野原や林の中で木に登ったり、虫を追いかけて遊びまわっていました。
家の前の広い野原に、ぽつんと。
その頃の私の身長の3倍くらいの高さの樹がいて。私は毎日、その樹に登って、心地良い風に吹かれながら、途中の太い幹に腰かけて歌を歌ったり、樹やミツバチと話したりしていました。初夏のころに、真っ白い小さな花を鈴なりに咲かせる、美しい樹でした。
一緒にいると、辛いこと、悲しいこと、家の中の暗い場所に時折うごめくように感じる不吉な影のような気配から、守られているような。
光に包まれた明るい気持ちになるのでした。
私達は多分、相思相愛だったんですよね。
天気の良いある日、家の外から聞きなれない大きな騒音がしました。
私は何かを感じて、すぐに外に飛び出しました。
とても大きなトラックが家の前に止まっていて、そして、まさに今、
ブルドーザー?が私の愛する樹をバリバリと音を立てながらなぎ倒しているさなかでした。
目を見開き、それを見ている私の身体に、引き裂かれるような強い痛みが走りました。
お別れなんだ、さようなら、と泣きながら。
私は、大好きだった樹の最後をしっかり見届けようとその場に立ち尽くしていました。
樹はばらばらに解体され、トラックに枝葉が束になって積まれていきます。
とても大きなナナフシが不安そうに、その枝につかまってゆっくりゆっくり、動いていたのをおぼえています。
私が泣いたのは、もちろん、愛する樹とのお別れが突然すぎて。
どうすることもできない悲しみ、目の前で大切な存在が壊されてゆく悲しみ。そして、樹木と意識がつながっていましたので、こころと体じゅうが痛くて泣いていたんですよね。
その後、私は家の事情で岩槻を離れ、叔母の家で数年間を過ごすことになります。
10歳になり、また家族が一緒に住むためにマンションに引っ越すことになりました。
当日、そのマンションの横の駐車場に小さな樹が生えているのが何故か目にとまりました。
懐かしい、真っ白い小さな花を鈴なりに咲かせています。
あの愛した樹さんと同じ種類の樹木だ、とすぐにわかりました。
「また、会えたね」と私はそっと樹に触れました。
そんなふうに。破壊され、失っても、お別れしても。
愛するものとはまた、繰り返しくりかえし、時の中で必ず出会えるのだと私は知りました。
わたしの心の中の風景には、
子供の頃に過ごした自然の世界が今もあって。
目の前に広がる野原の真ん中に、あの愛する樹はいまもいて。
小さな私が幸せそうに笑って座っているのです。
(🌿2021年4月4日に投稿した文章に加筆して再投稿)
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