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方舟/感想

ノアの方舟、それはろくでもない人間達に呆れ落胆した神が一度すべてをリセットするべく洪水を起こしすべてを流してしまおうとするが一人のまじめな青年を目にとめ、その者とその者の大事にするものだけは救ってあげようと船を用意し洪水にのまれないよう配慮した、という聖書のお話……

さて、

先日、夕木春央「方舟」を読了。
本作は2023年本屋大賞ノミネート作であり、世間の関心も高い一冊だと思うけど、読んでみて思ったのはこれは個人的にかなり推す!

殺人が起こり人々がそれに巻き込まれて様々に苦悩しながらも解決策を導いていく過程で読者が恐れ戦く作品は多数だけども、この作品は最後の最後で戦々恐々と、震撼させられた。素直にものすごく怖いなと思った。この殺人鬼が考えていたこと、この殺人の意味、そしてそれ以上に急転直下、希望が絶望に変わり果てる様がどうにも恐ろしくてたまらない。


死ぬべきなのはだれか

閉じ込められた9人のうち、作業のため一人は残らなければならない、という状況に陥った時思い出すのはトロッコ問題だが、「死んでもいいのは誰か」という曖昧でファジーなものから「死ぬべきなのは誰か」という、より強いニュアンスを得て〇〇〇ならば死ぬべき、と皆が賛同し同じ方向を向くところに多少なりとも不気味さを覚える。

しかし一方でそれは、その時の各々のメンタルを含む状況・置かれた環境や立場などから「死んでもいいかもしれない」と名乗り出る可能性がある者を排除し、これは仕方のないことだったと前を向くため、ひいては罪悪感を薄めるため誰もが納得する「悪」を用意するという不可欠な生き残り戦術だったようにも思う。必要悪、というのだろうか。


タイムリミットは1週間

水没しつつある地下建築で誰もが殺人犯の特定を真っ先に考えている。とても奇妙で、かつそれが本当に正しいことなのかどうかは疑問符がわいた。誰もが死に向かっている緊迫した状況下で生き残った場合の心の平穏を模索しているようにすら見える。誰かを見捨てて(殺して)自分が地上に出る(助かる)ことへの「罪悪感」がストーリーの全体を覆っており、まさにその人間味の強い感情が「ならば」と最後切り捨てられたかのように思えた。

誰も彼もが保身のための必要悪の発見に躍起になり、本当にそれだけしか道がないのか、またその道が果たして正しいのか検討しなおそうともしない。それは切羽詰まった状況故なのかもしれないが、従兄の存在は良くも悪くも大きいと思った。みながぎりぎりの精神で頭がパンクしてしまっており、賢そうだと認めた者の意見を取り入れるのみで、個々が考えることや異を唱えることを放棄してしまったようにすら見受けられた。殺人鬼がまるでみなに望まれて生まれたように。

エピローグ

お話の大どんでん返しが起きた。それは今までの方向性がガラッと変わったかのように見えた瞬間だった。希望がどん底に突き落とされる恐怖に足がすくむ思いだった。しかし戦慄したと同時に、なるほど「方舟」とは、と合点がいった。

こんな風に考えられないだろうか…


これが方舟だと最初に気付いた者がそのすべてを背負ったのだ、と。皆が望むものを与え、誰一人「死んでもいい人」はいないと教えた。その後気に病む必要すら消し去っていった。それがたとえ個々の命を軽視することであっても…


まったく笑えない、ただただゾッとする話だがエピローグを読むまでまんまと自分も同じ罠に陥っていたことを省みて、いろいろと考えさせられた。

さあ今一度新しい視点で伏線回収に出掛けるとしますか…

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