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懺悔

子どもを産んで育てている中で気づいたことがある。

それはいかに自分が未熟かということ。小さな、まだ言葉を話さない生き物を目の前にしていろんな感情が湧いてくる、まるで鏡で自分を見つめているように思う時すらある。大人と違ってこちらの意図を邪推しないので良くも悪くも伝わらない。そこでイライラしたりする。すると子どもの姿を通して自分の器の小ささにぶち当たったりするんだ。

力、つまり権力があるものには下を支配する力がある。何も考えないままだと支配して従わせようとする。だが理性がそれを抑えてくれる。だが理性を発動させるか否かはその人にかかっている。普段その人が理性的な人だったとしても、その時余裕があって理性を保てているかは分からないものだ。

大事に育てたいと願うのに日々どうしても雑になってくる。子どものために出来ることは何なのか、迷いながらも実質あまり実践できずに日々が過ぎてゆく。語りかけも、対応も、方法を知らなければ工夫できない。知るためには時間も努力も必要なのだ。

結局人にどうこうするよりも自分の器を広げること、たくさん知り、選択できるようにすること、そして知っていることをアップデートし続けていくこと、これしかないんだ。

不器用さに腹が立つ。腹の中が煮えくり返る。しかしそれとて自分なのだ。自分、なのだ。


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