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川崎大師「平間寺」の由来を知る

6月3日土曜日。
所用があったため、午前中は八ヶ岳にはいなかった。
スケジュールに、今年度なかなか行けなかった「川崎大師」の予定を入れた。ここへは、毎年度はじめに、事業所の安全祈願で訪れている。

ご祈祷をする前に、お坊さんからちょっとした法話を聞いた。
それは、川崎大師の「平間時(へいげんじ)」という名称がなぜついたかのお話であった。

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尾張の国の住人、平間兼乗(ひらまかねのり)は無実の罪で生国尾張を追われ、川崎で漁猟を生業として貧し い暮らしをしていた。ある夜、夢枕に立った高僧のお告げにより、海の中から弘法大師像を引き揚げ、海辺に小庵を建て、これを祀ったといわれている。その後、高野山の高僧尊賢(そんけん)上人が、諸国遊行の途中に兼乗のもとに立ち寄った。尊賢上人は、この像の尊さと像が見つかったいきさつの不思議さに感じ入り、兼乗とと もに大治3年(1128)に寺を建立。兼乗の姓である「平間」にちなみ平間寺と名付けた。開基は尊賢上人である。本尊が厄除けのご利益で知られるのは、兼乗の夢枕に立った高僧が、「これを供養して、功徳を諸人に及ぼせば、汝が厄災変じて福となり、諸願もまた満足すべし」と告げたことによる。
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というお話であった。

ちなみに、海の中で光る弘法大師像を引き上げた場所が、現在の川崎市川崎区夜光町のあたりらしく、それで地名が「夜光町」となっているとのこと。

当時は海だった場所も、今では川崎市の埋立て地区。夜光のあたりは「工場夜景」でも、話題の場所でもある。

そんなお話を聞いたあと、ご祈祷が始まる。
木札をいただいて、終了。

行こう、行こう、と思いながら、先延ばしにしていただけに、
胸のつかえが、すこし下りた気がした。

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