結局は承認欲求?私には愛が足りない。
引き続きミーニングノートコミュニティの読書会で「このプリン、いま食べるか?ガマンするか?」を読んでいて、自分の時間の使い方について考えています。
プリン本によると
と言う事です。
そうなんですよね。
利他的な行動をすると幸福感が高まるという実験の結果を読んだ事があります。
私が「やらなければならない」と今思っている事で、「幸福の時間」に変えられると思っている第1位は料理の時間です。
今のところ、料理の時間は私にとっては面倒くさいことをやる時間で、責任感からとりあえず食べれるものを作る時間(=役割の時間)ですが、「子ども達の身体を育てるご飯を作る時間」「子ども達に喜んでもらえる時間」と簡単に置き換えられそうですよね。
でも現実には、料理が下手くそだから喜んでもらえる事もないし、料理を作った後の片付けの時間もあるので、なかなか幸福の時間への置き換えが出来ずにいます。
自己満足でもいいから家族のためにやっていると思えれば良いんですが、思えないんです。
「喜んでもらう」のは無理だとして、私に必要なのは見返りを求めず「ただ与える」の心ですよね。
あぁ、また苦手なのが来た。
私、承認欲求のカタマリなんです。GiverかTakerかと言えば、完璧Taker。
私だって、愛を持って与える人になりたい!と思っているし、自分が何かをやったときに必ず見返りを求めているわけではないんです。
でも、与えている時に「ありがとう」も何もないと、私は「与えられたから私は幸福だ」とは感じられないのだと思います。
私に足りないのは愛ということでしょうか?
はぁ。