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全てが"いまのわたし"に繋がる線

自他ともに認める"強気"なわたしが"弱気"になって、「もうどうなってもいいや」と人生を投げ出しかけた。そんなときに親友の言葉に背中を押されて、社会と関われるようになれた。そんな、話。


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高校時代はよく「気が強い」「怖いもの知らず」等と両親や友人達や学校の先生方に言われていた。実際に自分でもそうだったと思う、特に勉強面において。

県内一の進学校に受かり田舎から通い(当時は学校がある市内の受験生をとる割合が多かったので市外の田舎勢にとってはそこそこ狭き門だった)、そんな田舎者のくせに定期試験や模擬試験で上位をキープしたため市内勢にやっかまれたり影でコソコソ言われたりした(本人たちは影で言っていたつもりだったのかもしれないけれど、聞こえていたよ!笑)。

とは言っても田舎県の公立高校なので、まぁたかが知れているわけで。そこでいくら上位に居たとはいっても、中堅国公立大に受かれば大したものだ、という感じ。
…なのだけど、気が強くて怖いもの知らずだったわたしは、偏差値70超えの旧帝大を第1志望にし、運良く滑り込みで現役合格することができた。

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そうして通えることになった大学だったが、ギリギリで奇跡的に合格できたわたしは早々についていけなくなってしまった。特に専門科目と理系科目の講義は、ちゃんと出席してしっかりと授業を聞いて下宿先に帰宅してから復習してもちんぷんかんぷんだった。「何が分からないのか分からない」に、初めて直面した。

それでも、自分自身のためには勿論、遠方に送り出してくれて学費や下宿費を払ってくれた両親のためにも、頑張りたかった。

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頑張った。否、"頑張ったつもり"だったのかもしれない。でも、100%を超えて頑張った、頑張ったんだ。

キャパオーバーになるまで、そう時間は掛からなかった。まず眠れなくなり、そして食欲がなくなった、悲しくもないのに涙が止まらなくなった。心臓のバクバクと不安感が酷くなった。

うつ病と診断され、服薬治療をしながら大学に通っていたが、朝玄関でしゃがみこんだまま動けなくなり行けなくなったり、講義中に体調が悪くなり途中で帰ることが増えた。「限界だ」と、感じた。

それから休学と復学を繰り返した。しかし最終的にもう休学できる期間がなくなってしまった時に復学が不可能になってしまい、退学せざるを得なかった。

"気が強くて怖いもの知らずな自分"は、もう何処かに行ってしまった。

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実家に帰り、療養生活が始まった。ほぼ寝たきり、当然外出は一切できなかった。(本当に情けないけれど、通院は両親に送り迎えしてもらっていた。)

いちばん酷かった時期と比べれば少しずつ良くはなってきていると感じたけれど、「最悪命を捨ててしまえばいいや」と思っていた。外に出て働いて、また悪くなって通えなくなるのが怖くて仕方がなかった。

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そんなとき、Facebookで中学校時代の友人から誕生日メッセージをもらった。彼女も県内に居てわたしも実家に戻ってきていることを伝えると、近くにいるなら都合の良い日にランチでもしない?という話になった。彼女と日程を合わせ、近場でランチをする約束をした。

自分の現状を伝え、「社会復帰したいけれどするのが怖い」「続けられる自信がない」、そう、溢した。

「もし駄目だったら、辞めればいいんだよ。」
「無理だったら、休んでいいんだよ。」

そうか、万全の状態ではないのだから、"心身共に健康な人たちと同じように"は、無理でも良いのかもしれない。やる前から言い訳ばかりして閉じこもっていたら何も始まらないんだ。挑戦してみても、良いのかもしれない。まさに、"目から鱗"だった。
数日後、自宅から近い飲食店のアルバイトに申し込み面接を経て、働き始めた。

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現在は、シフト制の塾講師をさせてもらっている。(飲食店を辞めた話は長くなるから割愛する。)体調不良で数ヶ月に1回程度休ませてもらうこともあるけれど、今、6年目。上司や同僚にも恵まれ、本当にありがたいことに「蒼先生が良い」と言ってくれる生徒たちもいる。学業が好きだからというのもあるけれど、それよりも仕事を通じて関わる人たちのおかげで続けられたのだと思う。

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挑戦することが、好きだ。子供の頃より、大人になった今のほうが新しいことにチャレンジしてみたい欲が強い。

弱気でメソメソする自分が今でもまだ登場することもあるけれど、基本的には「まぁ、いいか」と開き直れるようになれた気がする。それは、親友がくれた言葉たちをいつも心の中で大切に抱きしめているからだ。彼女からのメッセージがなければ、会わなければ、背中を押してもらわなければ、ずっと外の世界に出られなかったかもしれない。挑戦することが、好きではなくなっていたかもしれない。

無謀なチャレンジをしたこと、心身が悲鳴を上げても頑張ることをやめなかったこと、辞めたこと、始めたこと、続けられていること。
いくつもの挑戦と挫折を繰り返し、"いまのわたし"が在る。もらったたくさんの優しさを、他の誰かに繋げられるひとになりたい。挑戦し続けたいし、迷っている誰かの背中を押せるひとになりたい。

独りでは絶対にできなかったし、やってみようとも思わなかっただろう。支え、見守り、背中を押してくれた、関わってくれた全てのひとたちに「ありがとう」の花束を贈りたい。

#やってみた大賞
#私の仕事
#エッセイ

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