【No 49 広くソーシャルワークを6月26日分】

社会福祉士は、これが絶対という支援はない。こういう人にはこういう支援をしたら助けられるというものはない。もちろん、こういう状況の人、こういう感情を感じて孤独な人というように、その人を一般化できる状態にまで持っていけば、その人の心理などから、こういうことを大切にしてこういう方向で支援するということはできる。

ただ、根拠のある支援や実証できることにこだわり、不確かなものや曖昧なもの(数値にできないこと。根拠のないもの)を除外していけば、良い風にはいかない。ソーシャルワークという仕事は確かに認知されるが、その曖昧なものが、すなわち、クライアントの困りごとだからだ。

もちろん、根拠や実証もすごく大切。それがないとソーシャルワークは発展しないし、利用者支援も積み上がらず支援技術は上がりません。

ただ一方で曖昧なことも大切だと思います

このようにいろいろな可能性に対応できることはある意味、ソーシャルワークの強みのように思う。例えば、あるカウンセラーは、才能と言われるほどの技術があるとする。しかしこれは説明できません。大学では心理学の勉強はしたが、どちらかというとアルバイトをしたり遊んでいたと言います。

では何で、そんな技術があるのかと言いますと、子どもの頃から、落語を聞いていたため、コミュニケーションの間を取ることや返しのタイミングなどが絶妙なようです。このように、根拠はないが、才能があるということもあるんです。

こう考えると、ソーシャルワークの勉強が競う勉強から、学び合う勉強に変えたことは良かったのかもしれないと思う。いろいろな才能が生まれるかもしれない。学び合う中でソーシャルワークの技術は身につきます。

それが人を救うこともある。

なお、これは本の感想であります。もしかしたら間違えているかもしれません。また、ソーシャルワークの批判をしたい意図も全くありません。