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往年のライトノベル:萌えって死語ですかね

「おまえそれ、エロ本じゃん!」

「違う違う!」

「じゃあなんだよ、見せてみろよ!」

「いやちょっとそれは……ごめん!」

「あ、山本が逃げたぞ! みんなー、山本がエロ本買ってるぞー!」

 

 という話があったのは、二千年代初頭。もちろん私はエロ本を買っていたわけではなく、ライトノベルを買っていたのだ。

 当時ライトノベルは「電撃文庫」「富士見ファンタジア文庫」「角川スニーカー文庫」、あと次点で「ファミ通文庫」やら「スーパーダッシュ文庫」などが幅を利かせていた。なお、それぞれ当時の看板は「灼眼のシャナ」「フルメタルパニック」「涼宮ハルヒの憂鬱」だった。異論は勿論認めるが、この三つが書店の本棚にズラりと並んでいたのは覚えていてもらいたい。ちなみに、スニーカー文庫の神坂一が好きでした。DOORSとか、シェリフスターズとか。

 そうした時代。ライトノベルは2000年代に入ってなお日陰者だった。アニメ、漫画、ゲームを嗜む人間はマニアではなく、オタクと蔑まれているそんな時代。私も周囲を確認しながらアニメイトに入っていった記憶がある。テニスの王子様と涼宮ハルヒの間に聳え立つ壁はいかんともしがたいくらい大きかったのだ。

 翻って今、書店ではアニメっぽい表紙、つまり巷で言うところの「萌え」な表紙が百花繚乱。どれが普通の文芸で、どれがライトノベルだか分かりゃあしない……というのを先ほど書店に行って感じた。一番驚いたのは、東野圭吾の「片思い」までも、若干アニメっぽいイラストになっていたこと。ありゃー驚いたね。大衆に迎合というか、多分そうした方が売れるんでしょう。図書館戦争からアニメ色を抜きに抜いていた時代を思うと、隔世の感。今や一般文芸でさえもアニメアニメだ。

 私はこうした状況に警鐘を鳴らしたい……なーんてことを思うか! いやあ、長かった。やっぱり表紙はイラストの方が手に取り易いのは明白なのだ。それを偏屈な方々が、「いや、やはり純文は純文らしく……」と言っていたら売り上げが伸びずにさあ大変、それを尻目にタレーランがバカ売れ。そうすると各社が萌え風味に切り替えた、ってワケだと思う。いや、ホントにいい時代だよ。だって私たちの時代なんか、そういうのは「女子大生会計士の事件簿」くらいしかなかったワケで。

 この調子で、時代小説にも萌え化のセンセーショナルなビッグウェーブを起こしてほしい。萌え萌えな絵柄で燃えよ剣、みたいな。信長が萌え萌えな絵柄でコミカライズ……というのはありそうだな。多分あるんだろうな。

 ま、それでも本屋でイラストチックなものがずらり平積み、というのはしばらくは慣れんでしょうな。なんとなく、まんだらけに来たような感覚が抜けない。

 ちなみに、萌えってもう死語ですかね……?

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