53歳、昨日会社辞めました。(その3)

さて、この年齢で会社を辞めるって意味。人それぞれ動機は違うと思うが、自分の場合、会社方針と自分のポリシーが乖離してきたこと、もともと独立志向が高かったこと、ちょうど上の子供が大学を卒業し独立する年だったことなど、決して勢いだけで退職届を叩きつけた訳ではなく、それなりに心の準備や家族環境変化などのタイミングも重なってのイベントだった。

ところで3年前。まさに谷あり山ありの会社人生だったが、上下動を繰り返しながらもグラフでいえば漸増であり、しかも47歳からのおよそ3年間は自分でも驚くほど順調な上り調子で、人生の絶頂だったのかもしれない。

そして3年前。ちょうど50歳の自分。会社である人物に陥れられ、あっけなく撃沈。堕ちる時はこうも簡単に堕ちるんだって。足元を掬われるってこうゆうことかと。ただ、今思い返せば人生思うように進みすぎて、油断して脇が甘くなっていたのも事実。バカ正直に人を信用しずぎていたところもあった。それまで自分を買ってくれていた上司や得意先も手のひらを返したように離れていき、信頼していた後輩もまた、表面では心配する素振りをしながら憐れむような目をしながら離れていった。結局、部長職から平社員へ降格となり、地位も名誉も信用も全てを失った。孤独だった。ただ唯一、家族だけはそばにいてくれた。その感謝は生涯忘れることは無いだろう。

もうひとつ救いがあった。それは、自分を信じて信頼してくれる人たちがいたこと。しかも社外に。その頃、コンサル的な仕事をしていたのだが、(自分で言うのもどうかと思うが)面倒見の良い性格と、利益を度外視してのめり込んでしまう性分であったために、仕事の成果以上に感謝されることが多く、自分が築いてきたお客さんとの信頼関係と仕事への評価が、思わぬ形で自分に返ってくることに。

顧客の一人が発起人となり、会社の私に対する処遇がおかしいと独自に事実関係を調査し始めて、グループを作って会社に申し入れをしてくれた。さらに私の顧客を辿って署名活動までしてくれて、会社に提出してくれたのだった。正直、人のありがたみをこれほどまでに感じたことは無かった。ちゃんと自分を見てくれていて、正しい審判を下してくれる人たちもいるんだと。本当にありがたかった。ただ、体制に寄りかかり、変化を恐れた当時の執行部は、それらの行動から逃げ回り、一度振り上げた拳を下ろすことなく、私に対する批判や誹謗中傷を強め、結局、うやむやにして闇に葬った。お前ら地獄に堕ちろと念じる毎日だった。それが3年前の出来事。(続く)

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