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あの人をいつまでも応援できる私になれるように

先日、1通の葉書がポストに届いた。
印刷された文字が並んでいたので、どこかの企業からの形式的な暑中お見舞いか何かだと思った。
差出人を見ると、3、4年前に取材した酒蔵の杜氏さん(製造責任者)の名が記されている。
何だろうかと内容を読んでみると、「退職のお知らせ」だった。

酒蔵にいた数年間に関わった人の名刺を見ながら葉書を送ったのだろうが、内容は形式的なものではなく、「ライターの私」へのメッセージが空きスペースにきちんと添えられていた。

「お元気ですか?
 心に残る取材でした。
 次のステージに入ります!」

北海道の酒蔵で、取材に行った頃は、本州にはあまり上陸していない銘柄のお酒だった。もっといえば、商圏はほぼ札幌市内。
とはいえ、国内の清酒消費量がピークだった昭和40年から50年代にはかなりの量を製造していて、蔵にはその頃を彷彿とさせるような巨大な製造設備が並んでいた。

しかし、清酒消費量が落ち込んでいく一方の今の時代、大量生産は必要ない。
そこで蔵の改革のために他の酒蔵から杜氏として招致された女性が、私に葉書をくれた市澤さんだった。
彼女は素晴らしい働きをした。
無駄に大きすぎる設備を工夫して使いこなし、手作業を増やし、安全面を見直し、見事に「少量高品質」の酒を造る蔵に生まれ変わらせたのだ。
入社した年から数年にわたり、全国新酒鑑評会では金賞を受賞。女性杜氏という珍しさもあって注目を浴び、その確かな品質は首都圏の酒販店でも受け入れられるようになった。

取材した時の真摯な眼差し。クールでとっつきにくそうなのに、話してみると優しくフレンドリーで。ただ酒造りには妥協を許さず、あふれる探究心とチャレンジ精神を抑えきれないようだった。
大きなプレッシャーを抱えながらも、ご自身の役割を十分すぎるほど果たし、蔵の改革を推進して結果を出していく姿は眩しく見えた。

彼女と話し、私は一度でとりこになった。
関西では売られていない彼女の酒を公式サイトや東京の酒屋から取り寄せ、頒布会の酒も毎年2セット注文するほど応援するようになった。
きっと、私のようなファンが増えたのだろう。蔵のオーナーは、今の酒造りに合った設備を整えた酒蔵を新設した。それを噂で聞き、さらに美味しいお酒が楽に造れるようになっただろうと思うと、私も嬉しかった。

そんな彼女からの退職のお知らせ。驚いたが、「次のステージに入ります!」という力強いメッセージを読み、安心した。
おそらく、新設した蔵でのオペレーションを確立し、他の蔵人たちだけでも「これまでと変わらない品質の酒が造れる」と判断したから、蔵を去ることにしたのだと思う。
ここ数年、北海道には新しい酒蔵が次々にできているので、他の酒蔵から誘いがあったのかもしれない。
「次のステージ」の説明は記されていなかったが、前向きな選択だったことは間違いない。
私もお礼の葉書を送った。精一杯のエールを込めて。

たった一度の取材。
だからこそ、取材された本人が喜び、心に残してもらえるような記事をいつも書きたいと思っている。読み捨てられるようなものではなく。
「心に残る取材でした」というメッセージはとても嬉しく、がんの治療で休業中である私の情熱に火をつけた。早く仕事がしたいと心がざわついた。

また、こういうメッセージをわざわざ送ってくれるような人だから、ファンになってしまったんだなぁともつくづく思う。
この後、彼女はどこの蔵に行っても、持ち前の探究心とチャレンジ精神で、さらなる進化を遂げるはずだ。次のステージでの活躍を心から祈っている。
私はしっかり自分の体を治して、彼女の新しいお酒を美味しく飲めるようになっておきたい。
そして、できることならば、新しいステージで輝く彼女を再び取材して書きたい。

治療をがんばる目的が、また1つ増えた。

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