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弱くても、されどワン・ツー~第三話~青天の霹靂

弱くても、されどワン・ツー~第三話~
青天の霹靂

大河が他の子より、話すのが遅いと兄夫婦が気付いたのは[幼稚園の入園面接]がきっかけだった。
この時に面接した先生が聞く質問に、大河は答える事が出来ず沈黙が続き、園長先生から家での様子を詳しく聞かれ、沙月は、
名前を呼んでも返事がなく、返事に代わるリアクションもあまりないこと。目が合う回数が少ない事や、教えた物や人(車や、バーバ)に対しても興味関心が少なく、静かに一人で遊んでいることが多い等伝えると、発達の遅れがある可能性が急浮上した。

二人にとっては、まさに晴天の霹靂だった。
しかしこの時点では「まさか、うちの子に限ってそんな…」という位の淡い動揺。
それまで二人は大河が周りの子と比べて発達が遅いとは夢にも思わず、のんびりかまえていた。初めての育児に加え、子供の成長に関して情報交換をするママ友なども周りにいなかった為「発達の遅れ」というパワーワードから受けた衝撃も二人には大きかった。当たり前だ、これを聞いてショックを受けない親などいない。

そこから兄夫婦も周りに見習って大河にひらがなを覚えさせようと必死に頑張った。なんとか言葉を引き出そうとした。しかし努力の甲斐虚しく、大河は集中力がなく、すぐ立ち上がって、勉強とは違う遊びを始めてしまう。

三歳児検診にて、医者にみせたところ「広汎性発達障害(PDD:pervasive developmental disorders)」と診断された。それは俺と同じ、発達障害の一つだった。

しかし兄夫婦の凄い所はそこで落ち込まない所だ。太陽の様な明るさを持つ雅人は「大河の成長スピードに合わせて生きればいい!」と力強く笑い、どんな時も月の様な慈愛と忍耐で大河を包みこむ沙月さんは「もしかしたら突然話しだすかもしれないしね」と微笑んだ。

発達障害が分かった時点で二人は、大河に’療育’を始めた。園長先生の寛大な御心で入園面接をパスした大河だったが、幼稚園でも療育を行っている幼稚園がある事を教えてもらい、転園を決意。
(はじめは今の幼稚園に通いながら、週一で療育園に通う事も考えた二人だったが、一向に他の子と馴染もうとしない仕草や、先生の指示についていけず、置いてけぼりになっていたり。また話せないことでグループの輪に中々入れず一人ぼっちで戸惑う大河を見て、二人の心は決まった)

療育を行っている幼稚園を探し出し、本人の負担に感じないペース(癇癪が起きない範囲)で日々言葉に慣れさせ、日常会話も積極的に試みていた。
しかしここへ辿り着くまでの過程で、謂れのない疑いや偏見に二人は合っていた。
「お子さんの発達の遅れは親御さんや生活環境に原因がある場合も多くて……。失礼ですが、育児のストレスなどから手をあげたりはしていませんか。頻繁に怒ったりとか」
「もしくはご両親の愛情が足りていない場合でも、発達の遅れは起こりえます」
悲しい程に心無い言葉を受けた。数々の疑心の目に晒された。
無理解や無知からくる非難。
身に覚えのないそれは、まるで言葉の暴力だった。
それでも二人はただ耐えた、愛おしい我が子の為に。
どんな時も挫けず、お互いの手を取り、大河の為なら何でもした。

そんな三人の絆はアガペー(無償の愛)そのものだった。
和生人は、[家族]という神聖で強固な絆を傍から見て羨ましく思った。
どんな時も息子を信じ続ける。
そんなスーパー最強な二人を親に持って生まれた大河は、向かうところ敵なしに思う。

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夜、夕飯の支度をしていると居間にあるテレビから「三百六十五歩のマーチ」が流れた。【昭和の名曲たち】という番組タイトルだった。
和生人はその曲を初めて聞いたのだが、今流行りの曲とは全然違って、歌っている人は元気でパワフルだし、なんだか凄く楽しそう。
歌詞もちゃんと和生人の耳に残った(いつもは通り過ぎるので、これはすごく珍しい)

「♪一日一歩、三日で三歩♪」      「♪三歩進んで、二歩さがる♪」
  (リズムが心地良いな♪)         (え、待って俺みたいじゃん…♪)

そのままテレビの画面に食い入るように正座しながら最後まで聞いた。
和生人はこの曲がすぐ好きになった。


(♪腕を振って足をあげて ワン・ツー  ワン・ツー♪)
ある日、和生人が「三百六十五歩のマーチ」を脳内歌唱しながら、庭で洗濯物を干していると、雅人が縁側に座って大河に、言葉を教えていた。

雅人「これはみー、かー、ん、だ」
大きく口を広げてみかんを紹介している。「ほら、言ってみろ」と大河に促すと、
大河「………ッ、……ン!」
雅人「そうだ!大河!よく出来たな〜」
雅人の嬉しそうな声が庭に響いた。

泉の洗濯物を干す手がピタリと止まる。ついでに曲も止まる。
(待て、待て、待てぇーい!今、「ん」しか言ってませんけど!?
なんなら‘❓‘マークも微かについてましたけど!?本当にそれで良いのかよ、兄貴ー!)
心の中で猛然とツッコミをいれながら振り返ると、キャッキャとみかんを食べながら兄貴の膝の上で笑い合う二人がいた。
お…ぉッウツ、なんか眩しいな。

(ま、まぁ?ふたりが笑顔なら、別にいーんだよ。俺は、うん)

和生人はこれまでどんな時も中途半端を嫌い、なんでも完璧にやりたがった。その目は自分にも他人にも厳しく向けられた。
その完璧主義な性格は専門学生の時も爆裂し、時間をオーバーしてもカットをし続けて、度々先生に怒られた。’妥協’という言葉が和生人の辞書には載っていない。
中途半端を理性が許さず、マネキンの未完成な髪形を放置する位なら、例え怒られてでも目的を頑なに遂行した。そして完成した美しく仕上がったマネキンの【悲しきソレ】は、和生人の【技術力のベース】になった。

しかし今日目にした二人の不完全な会話のなかに、はじめて
「完璧じゃなくても美しく、尊いもの」が存在することを知る。
それは和生人が生まれてはじめて知覚し、覚えた’譲歩’だった。

(大河はこれからだ)
和生人も信じた。なぜか胸がじんわりと熱かった。
自分の変化に気付いてないのか。
和生人の頬はいつしか自然とほころんでいた。

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実家に兄夫婦と大河の三人が遊びに来ると、家がいつもより明るく感じる。
今までも度々兄貴が実家に顔を出す、という申し出を和生人の方が嫌がり、三年間ずっと頑なに断っていた。

(スタイリストに成るまでは、一人で頑張らないと)

途方もない願いだった。店での状況を知る自分自身がその難しさを誰よりも知っていた。だからこそ、一度でも兄貴の顔を見れば、堰を切る様にして弱い自分が顔を出し、泣いてしまいそうで怖かった。

兄夫婦は大河の髪を切る風景を見るのが好きだと言い、いつもカットをする風呂場は賑やかだった。いつからか、懐いて甘える大河を可愛い弟みたいに思っていた。

言葉が話せなくても、大河のしたい髪型や気持ちを誰よりも分かっている、そんな気がしていた。だけどそれは完璧に

和生人の【思い上がり】だった。

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ある日のカット大会の日。兄貴と二人で実家に来た大河はどこか落ち着かない様子だった。

#創作大賞2023 #お仕事小説部門

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