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10/30 ディボーション 幸いな人 マタイの福音書 15:1-11

聖書箇所 マタイの福音書 15:1-11

"そのころ、パリサイ人たちや律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て言った。
「なぜ、あなたの弟子たちは長老たちの言い伝えを破るのですか。パンを食べるとき、手を洗っていません。」
そこでイエスは彼らに答えられた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを破るのですか。
神は『父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない』と言われました。
それなのに、あなたがたは言っています。『だれでも父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は神へのささげ物になります、と言う人は、
その物をもって父を敬ってはならない』と。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために神のことばを無にしてしまいました。
偽善者たちよ、イザヤはあなたがたについて見事に預言しています。
『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』」
イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。
口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それが人を汚すのです。」"
マタイの福音書 15章1~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

最初に示されたこと

律法主義者は神への愛からではなく、人間的にその律法に頑なになっているのである。彼らは偽善者である。口先だけで敬っているのである。心は神から遠く離れている。そのような汚れた心で神を形だけ礼拝しているのである。

内容のまとめ

パリサイ人や律法学者たちは、弟子たちが手を洗っていないことを咎めました。するとイエス様は、あなたがたの方こそ、かえって言い伝えを神の戒めよりも大切 にし、両親をないがしろにしていると語り、偽善者だと指摘しました。

静聴と観察

<戒め>2節 口先だけの律法主義者になってはならない。また人に担わせてもならない。
<主イエスの教え>3〜11節 心から神を礼拝する者となりなさい。心から神を愛する者になりなさい。聖書の教え、特に戒めに対しては神を心から愛する結果として、自分を律するために用いるのである。他人に担わせてはならない。聖書の解釈には自分の都合が入るからである。

適用

主を心から愛し、心から礼拝する者となれるように祈り続けたい。
また祈る態度で聖書を読み、信仰の結果として戒めを守る者になりたい。聖書解釈にはどうしても私的なものが入るので、人を戒めるよりも人に対して祈る者でありたい。

祈り

主よ。あなたを心から愛し、礼拝する者とならせて下さい。聖書からあなたの御心が知れますように。あなたの忠実な僕にして下さい。聖書の知識によって人に重荷を背負わせる者になりませんように。隣人に対し戒めることよりも祈れる者とならせて下さい。

アーメン

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