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大学2年

大学2年に進級しました。  第2外国語2単位×2科目と必修科目1科目の8単位を落とした事により、この年は50単位履修と言うタイトな時間割となりました。  大学4年間でこの年が一番中身が濃かったように思います。  週4日大学に通い、残りの週3日は1日中バイトと言う週休0日だった時期が結構ありました。 停滞していた前年の巻き返しを図ろうとやや前のめりだったのかもしれません。 土日は1日10時間とかバイトに入り、バイトが終わった後は遊びに行き(と言ってもファミレスに長居しながら食事の後はドリンクバーで煙草を吸いながら談笑程度)、終電で帰宅して翌日も2限から授業……みたいな時期もありました。


忙しければ忙しいなりに時間を有効活用する方向になって行きました。  毎週水曜日が1限から3限までの3コマで14時30分には大学が終わり、唯一の半日休み??と言った感じでした。(他の日は4限か5限まであった)    午前中は再履修の第2外国語が2コマ連続で、午後はまあまあ興味が持てる専門科目(経済地理)と言う中々気の抜けない曜日でした。 翌日木曜日は大学は休みでしたが大抵昼前から夜までバイトのシフトが入っており、まとまった空き時間を確保できるのが水曜日の放課後しか無かったので、この日は授業が終わったら結構な確率で新宿に行き、大型書店巡り等をしていました。  この時は上京して東京にいると言う事が実感できました。 新宿のタイムズスクエアの屋外通路で煙草を吸いながら眺めた新宿の街が印象的でした。


必ずしも全てが順調に行っていた訳でもなく、細々としたアクシデントなどはありつつも、本州での一人暮らしと言う状況に慣れつつありました。  年齢的には当たり前と言えば当たり前ですが、特殊な経歴の持ち主でもあるので、よく大きな事件事故に巻き込まれずに身寄りのない東京・神奈川で単身生活できたものだと今では関心します。


この頃は割と真剣に将来の進路を模索していました。  その中の1つに『司法試験を受験してみたい』なるものもありました。  5教科では社会が凸で高校入試では満点&大学入試でもかなりの高得点だったと推定に加え、国語も社会ほどではないにせよ結構な得意科目でした。  浪人生時代に筆記試験で一発逆転する事の味をしめたのもあります。(これは善し悪しでもある)   また普通の会社員と言うタイプではないなといよいよ痛感し始めていたのもありますし、妙に正義感が強かった所もあります。  大学は経済学部に入学しましたが、どうも自分は法学部が一番向いていたようにも思えていました。 大学構内にあった資格予備校のパンフレットに影響されたのもあります。 


真面目に司法試験に参戦しようか検討した時期もありました。 最終的には当時はロースクールに移行する事が決定していたと言う事と、とりあえずは定職につく方が良いと判断し見送る事としました。 しかし大学卒業後は職を転々とし、合わない仕事がきっかけで発達障害判明と言う結果になったので、どうせなら一度きりの人生、結果的に駄目だとしても若い時にやりたいと思った事をやっておけば良かったと中年になった今は思います。

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