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出生から幼稚園入学前まで

現在40代前半にも関わらず、幼少期に療育を受けた事があると言うかなり珍しいであろうASD(自閉症スペクトラム障害)当事者という立場から、微力ながらでも後続の世代に向けて参考情報を提供できればと思いnoteを始める事にしました。


とりあえず出生から30歳手前ぐらいまでの人生史と言うか生育歴を書ける範囲で概説し、その後各論的に特筆できそうなイベントやエピソードに触れたり、テーマ別に自己分析したりいち当事者の立場から発達障害に関わる問題などにコメントしたり、たまには全く関係ない雑談ネタも投稿できればと考えております。   もっともあくまで構想なので、ADHD的に途中で放棄する可能性もありますが、その際は御容赦下さい。


1978年(昭和53年)の冬、北海道のとある小さな町にて出生しました。(ちなみに第1子)    転勤族の家だったので、以降各地を転々とする人生が始まりました。  3歳まで話せなかった為、1歳半検診では早速言語の遅れを指摘されたようです。 その他にも結構典型的なASD児童のエピソードは有していたようです。  なお、言語に関しては3歳を過ぎた頃から急に話せるようになり、多少の遅れはあったものの日本語自体は普通に話せるようにはなりました。 今このnoteに書いているレベルの日本語は日常でも普通に話せます。  ただコミュニケーションの手段としては今でも苦手感はあるかもしれません。


幼稚園に入学するまでは周囲との交流も殆どなく、自宅で落書き帳に絵を書いたり、レゴブロックやプラレールで遊んだり、ミニカーを1列に並べてみたりして過ごしていたようです。  幼少期にはカレンダーに興味を持ち自作のカレンダーを作成したり、地図帳や時刻表にもかなりの関心を持っていました。 成人してから大人の発達障害と診断される際の生育歴にも事実として記載しましたが、まあ典型的なASD児童の特徴が出ていたのだろうと思います。


3歳前後の頃に、出生した町とは別の地方都市に転居していました。  5歳になる前年に入学する幼稚園を親が探したようですが、当時の自宅から幼稚園児の足で徒歩15分(大人なら5分ぐらい?)の場所に、その地区の子ども達の大半が入園する幼稚園がありました。 地域でも評判が良かった幼稚園と言う事もあり、自分もその幼稚園に入園する事となりました。 


その幼稚園はその地方では有名な自閉症に詳しい社会福祉法人の系列で、開園当初から一般児童と障害のある児童も同じクラスで保育すると言う方針で運営されていました。   入園段階では自分はあくまでその地域に住んでいたいち子どもでしかなく、たまたま最寄りの幼稚園が先進的な取り組みをしていたと言う非常に運命的な出来事でした。

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