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大学3年

大学生活も後半戦で3年に進級しました。 前年の成績が発表されましたが、何と16単位も落としてしまいました。 学内に人脈が少なく履修情報が乏しいまま履修したのもありますし、マイナー科目ばかり履修したのもあります。 また多少の油断があったのも否めません。  これにより3年&4年次の単位取得に余裕がなくなりました。



大学3年の前半戦は良い事も悪い事もありつつ、ようやく東京での生活が軌道に乗り始めた感もありました。  春休みから公務員試験予備校にダブルスクールを始め、平日は昼間は大学(半日休みの曜日もあり)で夜は予備校に通い、土日祝日はバイトと言う日々となりました。 まあまあ熱心に公務員試験の勉強もこなしていたと思います。  それではいつ遊ぶのかと言う疑問を持たれるかもしれませんが……元々あまり遊びに興味はないほうだったので、特に気にはなりませんでした。  バイト先や予備校で休憩時間に喫煙所で会話するだけでも、それなりに人との交流ができたと思えるタイプでした。  むしろ四六時中ベッタリと言うのは苦手だったので、そこそこで良いのかもしれません。


3度目の東京の夏はバイトと予備校で忙しく、夏休みにも帰省はしませんでした。  紆余曲折ありつつも東京でサバイバルできている……1年目はどうなるかと思いましたが、ASD当事者(当時は未診断)なりに適応してきているように思えました。(今振り返ると錯覚の可能性も……)  


そして秋のある日、風邪かと思える日がありました。 しかし体調不良が治らずに内科を受診するも内科的には全く異常なしでした。 体調不良自体は治まらなかったので異常を訴えるも、精神か神経系の何かなのでそちらの科でなる返答をもらい、以後半年近く体調不良を我慢?する日々が続きました。 自律神経失調症みたいな感じだったと見ております。  2000年当時はまだ精神科や心療内科の敷居は高く、これから就職と言う時期に下手に受診すると一生を棒にふるのではと判断しました。  大学2年から3年前半にかけて、精力的に活動していたと言えば聞こえは良いですが、やや過活動気味な日々が続いていた反動もあったのかもしれません。


まずまず順調だった公務員試験の勉強もペースダウンし、何とか学年末試験を受けたような感じでした。 結果的にこの年も12単位落とす事となり、4年も普通に授業を受ける事となりました。  もっとも通っていた大学でも、自分のいた学部はかなり緩い部分もあり、もっと派手に単位を落としている学生も結構いたようです。   大学4年間で所定の単位を修得できれば原則留年はないと言う学部だった(単位が揃わなければ5年目6年目と卒業が延びる)のは、発達障害当事者にはありがたいシステムだったとも言えそうです。  民間企業の就職活動はやらずに、公務員試験一本で行く方針にしました。




 

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