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高校2年

1995年(平成7年)の春、高校2年に進級しました。 戦後50年だった平成7年……日本社会では前代未聞のテロ事件などが発生し、また日本経済も低空飛行路線がいよいよ濃厚になるなどした1年でもありました。 


高2になると、ある程度科目選択が可能になりました。 自分はとにかく理数系科目を最小限に押さえると言う履修形式としました。  理数系科目の負担が激減した効果は絶大でしたが、今度は苦手科目の英語をどうしようかと言う問題も浮上してきました。 文系科目重視の履修形式だったので、全体的な成績は上昇気流に乗りましたが、それでも『英語をどうするかが大学進学できるか否かの最大のカギになる』状態でした。


この頃になると、そろそろ現実的な進路選択の必要性が迫りつつありました。 自分の場合『私立文系大学への進学か、何らかの専門学校への進学の2択』と言う状況でした。   何かと怠惰な方向に流れつつあった時期でもあったので、受験回避もしくは軽量入試に逃げ込もうなどと画策していたりもしました。  一方でどこかに上昇志向的なものも捨てきれない部分もあり、迷走していました


そして高2の秋に修学旅行がありました。 社会性が乏しい性分だったので、学校行事への興味は薄く、ものによっては欠席もしていました。  しかし修学旅行だけは少し関心がありました。 集団行動云々とかの本来の目的ではなく、東京を見物してみたいと言う点での関心でした。  先に関西に行き、それから東京に行くと言う日程でした。   


団体で半日京都を見物し、夕方に京都駅から新幹線に乗車しました(当時はのぞみがなかったので、ひかり)。  結構楽しみにしていた新幹線ですが、日没となり車窓は暗いまま東に走行していました。 新横浜を過ぎたあたりから速度を落とし、少しずつですが外の風景も見えるようになってきました。  そして品川手前のカーブを過ぎると、大都会東京の夜景が視界に飛び込んできました。  地方からの修学旅行生の車両なので、車内のあちこちから歓声が上がりました。  北海道の地方はもちろん、札幌市中心部でも見る事のできないビル街の夜景はまさに絶景の一言でした。


翌日は1日東京見物で、上野発の寝台列車で北海道に帰る日程でした。 東京見物を終え、上野駅から離れる時にそれまで漠然とした願望でしかなかった上京したいと言う希望を、現実に実行したいと決意するに至りました。  そしてその手段は大学進学による上京にする事に正式に決めました。


中年になった現在振り返っても、この時から精神的に一段大人になったように思います。 もっともASD由来かそれ以外か、以降も色々紆余曲折あったのですが、正式に大学受験志望として進む事になりました。


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