浪人時代
1997年(平成9年)の春、札幌市内の大学受験予備校に入学しました。 この1年は人生を変えた1年と言えそうです。 かなりの大躍進をとげ、現役時代では考えられなかったレベルの大学に合格と言う結果が出ました。
入学した予備校は『自由』が特徴の予備校でした。 放任主義でもあり自己責任でもあるような雰囲気でした。 際限なく遊びに走ろうと思えば遊びに走れる一方で、強制される訳でもないのに必死に勉強する人も結構いる……何と言うか、発達障害当事者には実に相性の良い環境でした。 クラス選択はミスした可能性もありますが、この環境に1年間身を置いた事が一発大逆転の要因として大きいと思います。
序盤は『普通に真面目な浪人生活』を送っていました。 平日は予備校に通いますが、模試がない限りは土日祝日は休んでいました。 しかし初夏も近付いてきたある日、たまたま日曜日の自習室とやらを見てみようと思い、予備校に行ってみました。 すると、授業が無い日にも関わらず自習室で必死に勉強している人達が結構いました。 私立文系クラス在籍だったのですが、おそらくは国公立や理系クラスの人も結構いたであろうその自習室は、同じ予備校でも別世界でした。 『同じ浪人生でも、ここまでやっている奴が結構いる』……相当なカルチャーショックを受けました。
『自分ももっと勉強しなければならない!!』……この時から『月月火水木金金』の浪人生活にシフトする事にしました。 それも早朝の電車に乗り、自習室の開館から閉館まで週7日休みなく予備校に常駐すると言うライフスタイルが始まりました。 しかも何故か夏休み前半戦に自動車学校に通って普通自動車免許を取得したり、短期アルバイトなので合計十数日でしたが、人生初のアルバイトも経験しました。 ちなみに自動車学校の方は予備校の合間に通って6週間で免許取得と言う快挙でした。 実技教習のキャンセル待ちでロビーで受験勉強したりしている教習生は結構珍しかったようです。
開館から閉館まで丸1日自習室に籠城できる日には、1日で問題集1冊終わらせるなどの荒業をこなす日もありました。 今思えば発達障害由来の過集中だったかもしれませんし、メンタル的にやや危うい時期もありました。 しかし一番は『今やらないと、もう後がないかもしれない』『次の受験で大卒になれるか否かが決まる』・『上京したい!!』などの目標や危機意識が原動力だったと思います。
また『身を置く環境が大事』と言う事も実感した1年でもありました。 大学受験予備校の付かず離れずの人間関係は自分にとっては中々快適なものでした。 あと、これは良し悪しですが……『浪人生』と言う状況は意外と自分の性格に合っていたようです。 浪人時代最後の模試で偏差値が急上昇し、もしかしたら一発逆転の可能性も十分あるのではと思えました。 最後の最後で受験勉強のやり方みたいなものに気付いた感もあり、内容次第ではもう1年図書館の自習室にでも常駐しながら2浪していっその事早稲田大学あたりでも目指そうか等と言う欲が脳裏をよぎったりもしました。(あくまで願望)
そして2月。 2度目の大学受験で上京しました。 もしかしたら奇跡があるかもと思えた一方で、駄目だった場合は3月に受験予定の東京の私立大学2部(夜間部)に入学して上京しようと考えてもいました。
受験を終えて北海道に戻ってきた数日後、自宅にレタックスが届きました。 まだインターネットが無かった時代、合格番号の一覧表が郵便局にFAXで届くと言うサービスです。 開封して番号一覧表を見ると…………自分の番号が乗っていました!!! まさかの大学合格です。 それも東京23区内にある学生数1万人を越えるマンモス大学=知名度はある大学です。 中学・高校とパッとしない成績だった……そもそも小学校就学時に養護学校入学の打診もあった身です。 出身高校の合格実績と言う観点でも快挙と言えるレベルの所でした。 人生が変わった瞬間でした。
3月某日、新千歳空港を離陸した飛行機で北海道を後にし、羽田空港に向かいました。 旅行ではなく東京都内の大学に進学する為の一人暮らしのアパートに向かう片道切符……すなわち『上京』です。 発達障害発覚により、諸般の事情から北海道に戻ってはきましたが、この時は東京に永住するつもりで上京しました。
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