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アンビバレンスの雨

 雨の日は好き。出かけなくてもいいから。太陽のヒカリはとても魅力的で、うちのなかにこもっていることにうしろめたさを感じてしまう。うちにいるのがもったいないと思わせられてしまう。
 出かけない、ということはうちで自分の思うままに過ごすことができる。お気に入りの万年筆で大好きな手帳を書ける。読みたかった本が落ち着いて読める。サブスクでふらりと気になっていた映画を観ることができる。ぼんやりとベランダから水たまりの波紋をながめていられる。自分の身体とこころにちゃあんと向き合える。

 思えば子どもの頃から雨の日が好きだった。大好きなお人形さん遊びをどれだけしても叱られなかったし、好きなだけぬりえをしたりじゆう帳に絵を描いていられた。なにより外に出て遊びなさいと言われなくて済んだ。そもそも外で遊ぶよりうちで遊ぶのが好きな子どもだったと思う。
 ボロボロの社宅に住んでいた小学校低学年の頃、おとなりさんは今で言う学童保育的なことをしていて、たくさんの子どもたちが預けられていた。彼ら彼女らはみんな元気いっぱいで、いつも社宅前の大きな公園で自転車に乗ったりブランコをこいだり木に登ったりしていた。あたしも一緒に遊んでいたけど、たいてい順番を譲っていた。本当はおうちにいてお人形さんで遊びたかったのを隠して。ずっとぬりえをしていたい気持ちを一番奥の底に押し込めて。だから雨の日はとても安心していた。母に「日曜日は雨がいい」と何度も言っていたことを今でも覚えている。

* * *

 雨の日は嫌い。洗濯物が乾かないから。珈琲の蒸らし時間が読めないから。電気をつけないと部屋が薄暗いから。その薄暗さから鬱々とした気分になるから。靴が濡れることで仕事に行くのが嫌になるから。休みの日なら行きたかった美術館へ行くのがめんどうになるから。パリッとメイクしても相方にしか見てもらえないから。

 2年前の今頃、転職して新しい仕事に就いたばかりで、まいにちわき目もふらず仕事に没頭していた。それはそれは刺激的なまいにちで、今までぬるっと働いてきたことがバカみたいに思えた。それまでの働き方がほんのりうすいパステルカラーだとすると、新しい場所での働き方はまるで岡本太郎デザインのような爆発的ビビッドカラーだった。リモートワークOKの職場で、雨の日でも出勤のときは誰よりも早く職場にたどりつき、在宅dayでも就業時間より前にPCに向かってた。と同時に仕事へのマインドとかスタイルが今までのそれでは全然たりてなくて結構へこんでた。まぁまぁできる…って思ってた、そう思い込んでた自分を情けなくかっこ悪いと思ったし、とにかく早く自分の思う自分に成長したくて焦っていた。

 なんだかおかしいなと感じたのは秋頃。以前から気になっていた身体の異変が大きくなったことを仲間に話すと早く病院へ行って!と急かされ、やっと病院に行くとその日いきなり告げられた。

 それは突然で、うまく飲み込めなかった。病院の外は空が高くてまさに秋晴れ。さわやかな風と白くてうす青い高い空に小さく月が見えたのを覚えている。涙も出なかった。他人事のようで、でも自分のことで。青天の霹靂とはまさにこのことだなあって、いつか誰かが言ってたどこかで聞いたセリフ。ボスに電話で伝えながら笑ってた。そう、まだうまく飲み込めてなかった。ただ天気が良くて、空を見上げることができたのは本当に救いだった。あんなに雨が好きなあたしなのに。

 あれからもうずいぶん経ったけれど、ひととおりクリアして、あたしは生きてる。あの頃、他人事だったことを現実として受け止め始めていた頃は、こんなに穏やかにいられる日がくるなんて思えなかった。当時のあたしに教えてあげたい。あせるな。一歩ずつ。かみしめて生きよう。その日を味わって生ききろう。そして楽しもう。楽しくあれ。

* * *

 雨の日は好き。おだやかにまるっと自分で自分をつつみこむことができるから。悲しいことも砂に書いた文字みたいに手のひらでザッとかき消して散り散りにする自分をじっと見つめられるから。そしてまた悲しいことをなぞって「悲しかったこと」に書き換えられるから。次の晴れた日にはあのパン屋さんのバゲットを買いに行こう、そして深煎の珈琲とともに太陽のヒカリふりそそぐベランダで朝ごはんを食べよう、そう思えるから。


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