ロック史#3 : ロックンロールの衰退と転換期
格付けチェックでSOPHIAさんの演奏を聴き分けられませんでした!
それでも信頼してくれる方のみご覧ください…。
前回はこちら。
チャック・ベリー、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリーをはじめとする、ロックンロールのレジェンドをザッと紹介しました。
しかし時代の流れは早く、あっという間にロックンロールの衰えが始まります…
次々と姿を消すロックンローラー
まずは1957年末。
パワフルな歌唱でお馴染みのリトル・リチャード、当時25歳。
「俺ちょっと牧師になるからミュージシャン辞めるわ、さいなら!」
まあ、自分の選んだ道やし、しゃーない(5年後の1962年に芸能界復帰)。
続いて1958年。
キング・オブ・ロックンロールことエルヴィス・プレスリー、当時23歳。
「スターだけど陸軍入らなきゃいけないんで、また2年後」
まあ、徴兵の制度があったわけだし、しゃーない(1960年除隊し復帰)。
ジェリー・リー・ルイス、当時22歳。
「13歳の小娘と結婚してもーた!それに重婚もバレて非難轟轟やから一旦休むで」
ん?
ま、まあ、他にもスターはたくさんいるから…。
そして1959年、2月3日。
音楽が死んだ日
バディ・ホリー(22)、リッチー・ヴァレンス(17)、ビッグ・ボッパー(28)の3人が乗った小型飛行機が墜落。
いわばロックンロールの未来を担うはずだった3人の損失は、あまりにも大きすぎた。
追い討ちをかけるように、チャック・ベリー、当時33歳。
「女の子を売春で連れ回してもーたがな!逮捕や逮捕!」
パイオニアが何しとん。
1960年。
トドメを刺したのはエディ・コクラン、当時21歳。
ツアー移動中の自動車事故で死去。
ペイオラ・スキャンダル
アラン・フリードは、R&Bをかけまくりそれをロックンロールと名付け普及させた、アメリカの有能なラジオDJ。
"ペイオラ"というのは、レコード会社がラジオDJに渡す"賄賂"のこと。
ペイオラは法に触れていなかったので頻繁に行われていましたが、1958年に突如法律が制定され違法になります。
これによって、フリード含む業界関係者が次々と追放。ロックンロールの名付け親の損失も大きな打撃を与えました。
これらの災難によってロックンロールは勢いを完全に失い、ラジオでも数年間はポップ・ミュージックが中心となります。
UKロックの発達
60年代に突入。
アメリカと言語も場所も大体同じで文化的にも影響を受けているイギリスでも、ロックンロールは多くの若者達の間でブームとなります。
マージービート
特に港町のリバプールは海外から多様な音楽がリアルタイムで流入するため、数多くのバンドがあちこちで演奏を繰り広げました。
でもサウンドはしっかり独自のものになっていて、ブルースよりR&B味が強く、ポピュラー音楽向きの洗練された演奏と明るい曲調が持ち味。
途中で映る客の退屈そうな顔が気に食わないが、個人的に大好きな曲。
もちろんソロのアーティストもいますが、この頃にはバンドが主流というイメージ強し。
しかし、当初イギリス流のロックはアメリカでは全く受けず、チャートを賑わすことはありませんでした。
アイツらがデビューするまでは…。
ザ・ビートルズ
あ、失礼。
みなさんご存知のバケモノ集団。
左から
ジョン・レノン (リズムギター)
ポール・マッカートニー (ベース)
リンゴ・スター (ドラム)
ジョージ・ハリスン (リードギター)
まずこの4人が同じリバプールに生まれ出会ったということが、ロック史、いや音楽史における最大の奇跡と言っても過言ではありません。
代表曲は、………全部です。
ビートルズをはじめとするUKバンドの物凄い勢いは次回紹介するとして、なぜ彼らがアメリカで大成功したのか。
最初期ビートルズの"革命"
①ロックのイメージ革命
マッシュルームカットとスーツの組み合わせ。
当時は前髪を下ろす男子などほとんどいなかったみたいですが、彼ら以降髪を伸ばすバンドマンが続出しました。
世に反抗する姿勢を取りつつも、スーツと演奏後のお辞儀で上品さを両立。
ロックバンドを清潔感のあるアイドルに仕立て上げたマネージャー、ブライアン・エプスタインの采配は見事でした。
②ソングライティング革命
ビートルズが1番凄かったのがココ。
デビューから自分たちで曲を書き歌う、今では当たり前ですが、作詞・作曲家提供のものを歌う人が多い当時ではかなり珍しいことでした。
ビートルズの場合、その作曲能力がレベチなのだ!
レノン=マッカートニーという、全人類の中でツートップの天才が同じバンドで切磋琢磨しているという奇跡。
後にジョージも名曲をたくさん書くし、リンゴも味のあるボーカルをとれる。
誰か1人ではなく、4人のまとまりがあってグループとして人気だったのも大きな特徴でした。
③サウンド革命
もう少しだけ語らせてネ。
自由で複雑なコード進行、巧みで堅実な演奏、力強いボーカルと美しいコーラスワーク、どれを取っても斬新で超一流。
さらにレコーディングにも力を入れ、自分たちでああだこうだ言いながら音作りをして、特に60年代半ば以降、もっと凄いことになります。その話はまた後ほど。
ロックンロールからロックへ
レコーディング技術の発展によって、音楽はより多くの可能性を含むようになります。
例えば、60年代は4トラックや8トラックの録音が登場し、より細かく音を調整できるようになりました。
ステレオ録音も普及しましたが、60年代の前半はまだモノラルが主流です。
音楽プロデューサーのフィル・スペクターは、狭いスタジオに大人数のバンドを集めモノラル一発録音するという大胆な手法を取り、壁のように重厚な音 "ウォール・オブ・サウンド" を作り上げました。
顕著にその効果が出ているのは、彼に影響を受けた大瀧詠一のロンバケ。音の迫力が違う。
ミュージシャンたちはレコーディングで理想の音を追い求めるようになり、プロデューサーやエンジニアの手腕が大きな影響力を持ち始めます。
音の幅が一気に広くなって、もはや"ロックンロール"の枠からはみ出しまくってる、ということでより抽象的な"ロック"という表現が一般的になった、と捉えてもらって良いと思います。
今回はここまで。
次回以降もビートルズは出て来ますが、語りすぎないように気をつけます。
イギリスからはローリング・ストーンズやザ・フー、アメリカからはビーチ・ボーイズやボブ・ディラン、といった人気者が続々と現れ、ロックはますます盛り上がりを見せていきます。
面白くなってきた。
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