私が今までにもらってきたものとこれからあげられるものって

 「子ども叱るな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ。ママやパパが怒ったらゆってみんさい。」
 それは、おばあちゃんが私にくれた飛び切りのアドバイスだった。何かやらかす度、両親に怒られることを子どもながら不満に思っていた私がおばあちゃんに相談した時のことだった。
 先月母がひなちゃんのお世話を手伝いに来てくれた時、
「そういえば、昔あんたを怒ったらそうやって言いよったわー。ほんま怒れんくなったんじゃけー。誰に教えてもらったんじゃろーね!」
と懐かしそうに言っていた。私がおばあちゃん(母方の祖母)の入れ知恵であったことを伝えると、
「かあちゃんだったか!知らんかった!ばあちゃんはあんたのことほんまに大事にしとったんよ。」
と笑った。
 おばあちゃんは小さくて丸っこくて、いつも朗らかに笑っていた。まるで小春日和のポカポカとした太陽のような笑顔だった。おばあちゃん子だった私は、子どものころ毎週のようにおばあちゃんの家に泊まりにいっていた。
 夕方になるとおばあちゃんと飼っていた犬を連れ、田畑のほとりを通り、川まで歩いた。川では私が小さなタニシを集め、おばあちゃんは川岸の石段に座り、私が飽きて
「もう帰る。」
と言うまで見守っていてくれた。夜には大好きな餃子と茶碗蒸しを作ってくれ、デザートには畑でとれたスイカやキウイを出してくれた。雨で外に出られない日は、ピーラーや包丁の使い方を教えてもらい、私が皮をむいて切ったジャガイモで、ポテトサラダを作ってくれた。普段はのんびり歩くおばあちゃんだったが、近所で何かあるとゴム草履をつっかけ、年寄りとは思えない速さで様子を見に行くような一面もあった。よくいっしょに近くの温泉にも行き、お風呂に入ると二人で
「いい湯だな、あはは♪」
と盛大に歌い上げた。今思うと非常に恥ずかしい。
 おばあちゃんは、目の見えない私を孫の中で最も心配し、私が何事もなく成長することだけを心から願っていた。それだけに、成人式の後袴を着ておばあちゃんに会いに行った時には、泣いて喜んでくれた。
 そんなおばあちゃんが突然亡くなりこの春で5年になる。そんなに急いでいなくならなくても良かったのにと、私は未だに思う。あんまり急いで行ってしまったから、野菜の甘味溢れるフクフクの餃子も、だしの味がしみわたるフワフワの茶碗蒸しも作り方を聞きそびれてしまった。何度も食べたはずなのに、未だ味を再現できていない。もう少し生きていてくれたら、ひなちゃんにも会い、きっと喜んでくれたことだろう。裁縫の好きだったおばあちゃんが私に作ってくれた、薄ピンク色のきんちゃく袋には、今ひなちゃんのお着換えセットが入っている。
 おばあちゃんがいなくなってからの5年で私は大学を卒業し、進学し、結婚し、就職し、そしてひなちゃんが生まれた。しみじみと時の速さを感じる。最近まで、家族で私が最も下の世代であったが、ひなちゃんが生まれたことで、一世代繰り上がった。会ったことも無い先祖、ひいおばあちゃん、おばあちゃん、母、たくさんの人から少しずつ受け継いだ遺伝子の他に、私はひなちゃんに何をあげられるだろう。有益な何かを伝えて行けるだろうか。
「子ども叱るな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ」
いつかおばあちゃんになった母の入れ知恵でこんどは私がひなちゃんにそう言い含められる日が来るのかもしれない。

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