言葉じゃなくたっていい

 私たち特に全盲の視覚障碍者にとって言葉は重要なコミュニケーション手段だ。
 これまで私自身、正直寡黙な人とはどう関わればよいか悩んできたし、言葉こそ正義だと言わんばかりに大切にしてきた。しかし、ひなちゃんが生まれそんな自分自身の価値観も少し変わった。
 なにしろ非言語コミュニケーションの中で生きる者の最たる例が赤ちゃんであり、言葉が全然通じないからだ。顔の表情やしぐさからこちらが読み取らなければならないことがたくさんある。
 初めのうちは
「ひなちゃん今どんな顔してる?」
「笑ってる?」
と周囲の人に聞くことが多くあった。
 しかし成長するに従い言葉以外にもひなちゃんの心情を察する手掛かりを私なりに見つけ始めた。
 例えば、声を出さずに笑っている時には口を開け
「はふはふ」
という息遣いに代わる。
 他にもご飯を食べるとき、スプーンにかぶりつく速さや振動の大きさでで、あげている物が好きか嫌いかなんとなく分かる。
 一方、ひなちゃんの方も私たちに何かを必死に伝えようと日々試行錯誤しているのではないだろうかと思う瞬間が増えた。
 例えば、お腹がすけばいつもご飯の時に座っているハイローチェアまで行き、
「バンバン」
と叩いて音で教えてくれるようになった。
 他にも、当初はとってほしい物や行きたい場所があるとき
「えー、えー」
と言いながら指を刺していたが、こちらがひなちゃんの指し示すものを理解できないと気づいたのか、最近では手をひっぱって私たちを行きたい場所に連れて行ってくれるようになった。
 梅田を夫と私ひなちゃんの3人で歩いている時、突然私たちを引っ張り勢いよくどこかへ進み始めたことがあった。
(どこへ行くんだろう?)
と思いつつ私たちがのろのろと付いて行くとそこは一見何も障害物の無いがらんとした空間だった。ひなちゃんはそこにぽつんとたたずみ動かなくなったのだ。
 私たちが周囲の壁に触れると幾つも金属製の冷たい扉があることに気づいた。時折
「ピンポーン」
とテンポよく音も鳴っていた。
 そうひなちゃんは昔からエレベーターが大好きで私たちを連れて来たところはエレベーターホールだったのだ。おそらく最近はまっているボールプールの次に好きな場所なのではないだろうか。
そして、ドアが空いた一つのエレベーターにひなちゃんは何の迷いもなく乗り込もうとした。
「あー、ちょっと待って!」
と 私たちは慌ててひなちゃんを引っ張り、エレベーターホールの中央に引き戻した。
 するとひなちゃんはホールの中央で腹を立て座り込み動かなくなった。
 そこからは上下移動を求めるひなちゃんと地下街の平行移動を求める私たちとの攻防戦となった。
 暫く歩き進めようとひなちゃんの説得を試みたのだが、言葉の通じず、膠着状態が続いた。
 エレベーターホール中央に、白杖を持ってたたずむ持っ大人二人と座り込む見える赤ちゃん一人、なかなかに稀有な構図である。ただ朝の人が少ない時間とはいえさすがに通行の邪魔にもなるため、ひなちゃんは強制的に抱っこ紐へ格納され退場となった。
 これ以降エレベーターには注意が必要となったがひなちゃんのはっきりとした意思を感じ取ることができた。
 私たちはひなちゃんとの意思疎通ができるようになりたいと思い日々働きかけてきたつもりであるが、ひなちゃんは、ひなちゃんなりに思いつく限りの手段を使いいつも私たちに何かを伝えようとしていたのだ。
 言葉以外にも音や行動から読み取れることは意外とたくさんある。ひなちゃんを通して、言葉を介さないコミュニケーションの豊かさを知った。

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