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練武知真 第1話『自由になる為の武術』

いよいよ「練武知真」が始まります。
第1回のタイトルは『自由になる為の武術』です。
 
皆さん、伝統武術というと、とても沢山の技や型を覚えないといけないというイメージはないですか?
確かに、私の伝える中国伝統武術《形意拳(けいいけん)》や《八卦掌(はっけしょう)》には膨大な技術体系があります。
 
基本技から応用技。
「套路(とうろ)」と呼ばれる複数の技をつなぎ合わせた型。
「対練(たいれん)」と呼ばれる対人練習。
槍や刀などの武器術。
各種の「練功法(れんこうほう)」と呼ばれるトレーニング。
気功法。
ひいては道教哲学まで。
 
全てを学ぶのには相当の時間を要します。
これらの体系を全て身につけ、なおかつ忘れないようにし、
さらに発展させようとすると・・・
とても今の自分には無理!
そう思う方がほとんどだと思います。
 
でもね。
こう考えてください。
 
《身につけたら忘れていい》
 
え?
と思うでしょう。
 
でも本当にそうなのです。
少なくとも私はそう思っています。
 
それは何故か?
 
武術の究極的な目的は
《自由になる》
ことだからです。
 
闘いの場面を想像してみてください。
ここで想定するのは、審判がいて、ルールがあり、会場内で開催される「試合」ではありません。
日常において不意に襲われるといったシチュエーションです。
 
足元も不安定。
相手は複数かも知れない。
相手が武器を持っている可能性もあります。
 
そんな状況において、
「型にはまった」ような動きでは対応できないことは、容易に想像できるでしょう。
 
学んだ技術を消化吸収して、自分の血肉にし、
いざという時に
適切な応用を施して自然に体が動かなければなりません。
 
また師匠に教わったとおりの技が、弟子にとって効果的な技である確証はありません。
それは師匠と弟子は、同じ人間ではなく、骨格、筋肉、性格、経験など全てが異なる別の存在だからです。
師匠の得意技が、そのまま弟子の得意技になる可能性はむしろ小さいと思います。
 
つまり自分にとって最も効果的な動きは、自分にマッチングした動きなのです。
《個性の発揮》が重要なカギであり、それが自由な攻防へと導いてくれます。
 
闘いにおいて、技に束縛されて、自らを不自由にすることは、全く意味がありません。
自らを自由にすることが最上の戦術なのです。
 
だから・・・
たとえ膨大な練習体系であっても、それぞれが要求する学びの目的を達成した後は、執着せずに手放しても良いのです。
大切なものは自分の心身にちゃんと残るのだから。
 
 
これは様々な勉強や仕事についても同じかも知れません。
覚えることが色々とあっても、それらは全て
《その先にある自由を得る為の手段》
であると考える。
 
「知識」を得ることを「目的」とせず、
「知識」をもって自分を「自由」にして、
その先にある「目的」を達成すること。
 
自分を活かして生きる為に・・・。
 
武術はそんなことを教えてくれるのです。
 
 


 
2024年2月14日 小幡 良祐

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