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私はたぶん7月が嫌い②

前回は暗い話で終わってしまいました
今回はよりショッキングな内容も含むかと思いますので
苦手な方はこの記事は飛ばしてください

そこからどう今に至るのかお話しできればと思います

全日制の高校での籍は残したまま
休学という形をとって
自分の出来る範囲でやりたいことをやった

犬や猫と戯れたり、おさんぽしたり、
歌を歌ったり、ギターを弾いたり、バイトしたり。

もちろん病院には何回も行ったけれど、
地元では「思春期だからねぇ」「すぐ治るよ」
と取り合ってもらえた試しがなかった。

そのままの流れで、ウチではなんとなく、
私の鬱に触れることがタブーのようになった。

結局全日制を続けるのは難しいと判断して
通信制に転入した。
生活はあまり変わることはなく、バイトに励んだ。

この頃から、家族に体型をイジられてきたコンプレックスから私はダイエットを始めた。
これまた最初は楽しかった。

たぶん私は、辛いことを楽しいことだと
脳内で書き換えるのが上手い。

気づいたらいつしか摂食障害の沼にハマっていた。
痩せていることが全てだと。

先に言っておくと、まだ太ることは怖い。
全然、治ってないよ。鬱病も摂食も。

そして昨年末、またもや鬱の波が来て心が限界と感じ、すがる思いで心療内科へ行った。
すごく勇気を出して行ったのに、結果は同じだった。
門前払い、何かあればその時来てと。絶望だった。

7月4日。私は家で首吊りを試みた。
偶然にも早起きした母にたまたま発見され、
(母親の勘というのは凄いらしい)
意識が落ちる寸前で結果は失敗に終わった。

それから私と母はしばらく病院を探したが地元では無理だと判断し、私は高校卒業と同時に実家を出た。
鬱との付き合い方が難しく、高校の単位数は通信制でもギリギリだった。

進路選択の時期になり、私の中に大学という選択肢は無かったのだが、父の紹介で完全オンライン制の大学について知った。

しかも中身がめちゃくちゃ面白そう。
これだ、これが勉強したい!と思った。
4年間かけて自分がしたいことが明確になった。

自分の好きな事と、社会や人の為になる事を組み合わせて将来を決めたい、
経営の勉強がしてみたいと思った。

実家を出てからは、たまたま合う薬が見つかり
通院と投薬により症状が落ち着いている時もある。

そして大学での学びはとても楽しい。
合宿へ行ったり、友達ができたり、課題でzoomを使ってミーティングをしたり、刺激の多い毎日。

辛い瞬間もまだまだ沢山あるけれど、色んな人に支えられて今の私がある。
前を向いて「今」を精一杯生きていきたい。

今年の7月ももう終わる。
まだ誰にも話せない事、話したくない事、そういう事も含めて自分を愛せるようになりたい。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
また次の記事で。

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