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ロシア会

ロシアに何らかの形で関わっている人が集まった。

10代から50代まで集まった。誰かが誰かを紹介して、初対面同士があつまった。私なんかが来ていいんですか、と初々しいことを言いながら、10代の子もやってきて、コーラを飲んでいた。

このロシア会、もとはといえば「ハルカサンのひとを集めるチカラが凄い」、とサンクトのO兄が褒めてくれていたらしく、今回の幹事依頼がきたのだけれども(直接褒めてくれ)、当日集まった人たちはもとをたどるとほとんどO兄の紹介だった。

初対面同士、年齢もばらばらなのでどんな会になるかしらん、とおもったけれども、主賓は久しぶりに会う友人だから失礼にならないかなとか、先輩を呼んでも大丈夫かしら、とか。

でも旧友プリの知性と包容力が相変わらずすごいのでなんとかまとまった。というか、ロシア生活百戦錬磨な彼をわたしは内心とても頼りにしていて、彼さえいれば毎回どんなロシア飲み会のどんな人間の混沌も海のような静けさに戻るので、彼がきてくれる飲み会はわりと年齢層が広くても誰を呼んでもそこまで失礼な状況にはならないだろうとおもって私はとても頼りにしている。結局店のチョイスも彼が裏で全部やってくれた。

それで、人生で能動的にロシアを選んできた人、気が付いたら”こっち側”にきたまま何年も経った人、本当はロシアがまだ好きではないけれど関わっているひと(便宜上「まだ」と書いたけれど、ロシアを好きになるかどうかもわからないけれども関わらざるを得ない若い人の状況というのはたしかに苦しいと思う)、ロシア語学校に通い始めたら先生の愛情がすごくてやめるタイミングを逸して今に至る人(わたし)、ロシアを仕事にしているひと、ロシアを仕事にしたい人、ロシアに一生関わっていくことに何の迷いもないひと、迷いながらも続けるという選択肢しかないひと、その他色々な状況の人があつまった。

そういう中で、20歳の子から初々しい質問が飛ぶ。

「そもそもみなさんはロシアが好きなんですか」

好きです、と迷いなく答える先輩。ロシアで働き、ロシアで子どもを育て、ロシアで学校に行く友人。

私は、どうだろうなあ、ロシアが、というより旧ソ連圏ぜんぶ、世代によってはゆるくロシア語が通じる地域がぼわっと全部好き。中央アジアとか、コーカサスとか、バルト三国も、ポーランドも年上の世代にはロシア語が通じる。

アルハンゲリスクとかウファとか、ただただ地名が萌える、それだけの理由でふらっと飛んだこともある。ポーランドの古い町、クラコフで林檎パイを買ったとき、パン屋のおばあちゃんにちゃんとロシア語が通じて感動したことがある。

なぜロシアにかかわりはじめたのか、それぞれにとってのロシアな世界のはじまりを、いろんな話を聞いた。若い子の話も、先輩の話も、私たちそれぞれお互いにとって、どれも初々しかった。

私がロシア語を始めたのは2005年で、『エクスプレスロシア語』でたった一人、勉強した。思えばその頃失恋をして、なぜか私はいつも自己中な人にふりまわされて愕然として終わるという構図が多くて、その心のもやもやから逃げるように、誰かに振り回される人生はもう嫌だと、ジョナサンで一人で勉強した。

その後OL生活が始まって、新人OLの通勤中に黒田龍之助先生の「かたつむりのロシア語」(NHKラジオ)を聞きながら巻き舌の練習をして、できなかった巻き舌ができるようになった。

さらに何年かして、OL生活に疑問と限界を感じはじめた2010年にロシア語の私塾「ミールロシア語研究所」に通いだした。

ロシア語に関して言えば結局いまもまだそんなに出来るようにはなっていなくて、通訳とかとてもじゃないけどできないし、ミールの残党たちのクラスはいつもみそっかすで、「ロシア」というただそれだけでご飯が食べられるわけでもなく、もうやめようかと、いつも思う。

だから10代からうっかりロシアをやっているひとがとても羨ましいのではあるけれども、それぞれの中にそれぞれのロシア像があり、わたしたちは日々それぞれそれをひそやかに大切に育んでいるわけなので、自分にとってのロシアもそれで良いのかもしれない。

先日、ブレジネフ時代のモスクワで新聞社の支局長をされていた方と、プーチン現大統領のモスクワで支局長をされていた方が同じ場に集まった。話題にオチはなくて、10代の子なんて「ブレジネフって世界史の人ですね」と言ったのだけれど、(私にとってもブレジネフって眉毛のイメージしかない)そういう混沌としたソ連・ロシアの世界を見てきた人に共通項が一本通って、内心おおっと思った次第だったりするのです。


※写真はカレリア共和国

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