和声④

今日は「和声」と「和音」の違いについて書きたいと思います。

実は色々な説明の仕方があるのですが、今日は関係性の問題として捉えていきます。

和音は絶対的な概念です。例えばド・ミ・ソは和音としてはCであり、稀に別の表現で記載されることはあっても、基本はC。

ただ和声ではこれだけでは表記のしようがありません。

ハ長調であればⅠですが、他の調性では別の表記になります。というのも「和声」は「関係性」と「相対性」で成り立っているからです。

で、その関係性により、その和音がどのような機能を持つのかが変わってくる。

ただ、西洋音楽といえども「和声」で成り立っていない音楽もある訳です。

「調性」の無い音楽では「和声」という概念は成り立ちません。「和音」が
生じたとしても、それはあくまでも結果にしか過ぎず、関係性で語ることが出来ないから。

で、「和声」の発見も実はそれほど古い話ではない。

「対位法」の成立の方が(どの時点をもって成立とするか、については議論の余地がありますが)、確実に前です。

「ヒロシマ」のゴーストライターだった新垣隆さん曰く、「調性音楽でしたから、私の仕事の本流ではありません」、「あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる」とあるように、現在のクラシックに端を発する音楽の中では、調整音楽は数ある音楽の一つでしかない訳です。

実際現代音楽の作曲家で、「和声」に基づいて制作をしている方などまずいないと言ってよいでしょう。

というよりはもはや後期ロマン派からどんどん崩れていっているのが現実です。

「基礎」としての意味は持っていても、その通りに作るべきものでもなく、知識として知っていればいい、曲を理解するツールとして用いればいい、そういうレベルのものです。

そういう意味では「和声」はかなり形を変えた上、いわゆる「ポピュラー」の方に残っている、といっても過言ではないでしょうね。

明日はその辺について記事にしたいと考えています。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。