作曲・編曲72

今回は自分でも取り上げるつもりのなかった、この曲を取り上げたいと思います。

BEGINの「恋しくて」です。

何故かというと、家族がこの曲、BEGINの曲だということを知らなかったからです。

確かに「島人ぬ宝」や「涙そうそう」といった曲との共通性が低いんですよね。普通に聴いたら別人の曲と思っても不思議はないかもしれません。

サブドミナントマイナーが多用されていて、他にもマイナーコードの使い方がうまい曲ですよね。

分数コードでも、こう繋ぐのか、とか、結構上手いんですよ、

と思っていました(笑)。

ただこの曲、良く聴くと、主和音の下に根音の長2度下の音が使われたり、ドミナントもマイナーになったりしているんですね。

これってよくよく考えてみると、ブルースのコードですよね。

サブドミナントマイナーと言うよりも、ブルースの影響が色濃く出ているから、マイナーになっていると言った方が適切なのかもしれません。

一方、「島人ぬ宝」や「涙そうそう」に、そういうコードは出て来ません。

そう考えると、確かに違うんですよね。ブルースの影響がこれらの作品からは感じられません。

むしろ意識しているのはこれまでの琉球の音楽でしょう。やはり西洋音楽であることには違いありませんが…。

ただ、こうして見ると、沖縄の二面性、といった問題が感じられるんですよね。

アメリカの影響、という部分もその支配が長かった分「捨てられない」ものになってしまい、その要素を色濃く持ちながら、そのこと自体に対する葛藤的なものが一方にはアンビバレント的な感情があり、それが「琉球」なのかもしれません。

自分は沖縄出身ではないので、こういうことを語るのはおこがましいのかもしれませんが、やはり「恋しくて」がBEGINの曲だとは思わなかった、と聴くと、自分の頭の中ではやはりこの問題に行き着いてしまうんですよね。

曲の良し悪しとかそういった問題を超えた所でそういうものを感じてしまいます。

もちろんどれもいい曲なんですけどね。

ただ、やはりそこに「差異」を感じ、「沖縄」について考えてしまう、そんな感じでしょうか。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。