純邦楽㉒
昨日記事を書いたので、ある程度頭が整理出来ました。
なのでここでまとめに入りたいと思います。
次のような形になると思います。
①変化を受け入れて未来を切り開く
②現状を受け入れて徐々に衰退していく。
この2つの選択肢しかないでしょう。今更簡単な方法で層を厚くしようとしても無理です。
現状でほとんど聴かれていないのに、いきなり聴かれるようになるはずもない。
義務教育で取り上げたところで、義務でちょこっとやっているだけでは、多少の効果があったとしてもたかがしれている。
「純邦楽」って今だから「純邦楽」と呼ばれているだけで、元々は変化しているものでした。
「純邦楽」が「純邦楽」となったのは変化が無くなったからです。
裏返すと、「純邦楽」というものはいずれ無くなります。というかもう既に無くなっている状態に近い、といった方がいいのかもしれません。
もう既に一部の方たちが国家の庇護の元、生きながらえている、という状態に近くなっています。
つまり②の道を確実に歩んでいる。
しかし①の方向に進むとすれば、その時「純邦楽」は「純邦楽」では無くなってしまう。
そうなると、国家の庇護は受け入れられなくなるでしょう。既得権益者がその既得権益を失うから邪魔が入ると考えています。昔のままの方が都合がいい方、多いでしょう。
現在の「純邦楽」の指導者にしても、「愛国心」を育てたい人にとっても。
音楽としては①の方向の方が健全です。でも難しいでしょうね。
「純邦楽」自体、それほど好きな訳ではないのですが、かつて「純邦楽」を演奏していた人間としては一抹の寂しさは感じますが、時代の流れには逆らえません。自分自身が「純邦楽」が好きであれば、何かしら石でも投げようと思うのでしょうが、そうではない。
どなたか改革者が出現すれば別ですが、層が薄いが故にそれほど期待は出来ない。
残念ながら、徐々に衰退していき、滅びはしないものの、国家の庇護の元で細々と生き残る、そんな世界が関の山でしょう。
ただ、残しておけばいつか誰かが発掘する可能性はあります。だからそのこと自体が間違っているとは言えないのかもしれません。
それまでは今の形でもいいのかもしれません。
今日でこのテーマも終わりにしたいと思います。
と思ったけど、この記事を書いている中で気付かされることもあったので、明日はその辺について記事にしたいと思います。