新世紀エヴァンゲリオン1 自己嫌悪とラブレター
不覚にも泣いてしまった。
とはいえ私はわりとすぐに泣いてしまうのだけど。
「現実は真実じゃない」「自分の価値は自分で認めるしかない」「だけど心は、人との関わりで作られる、みんな心の一部を作ってくれている」
結局、自分が現実だと思っているものが自分にとっての現実だし、自分から見えてる他人が自分にとっての他人でしかないんだ。
また自分が自分を嫌いでも、ほかのひとは好きでいてくれているのかもしれない。そういうことにうまく気づけたらいいのだけど、傷つきたくない故に真実を歪めてしまう。
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シンジ君を表すものは記号でしかない。私を表すものも記号でしかない。私はだれ?私はだれ?わたしはだれ?わたしはなに?
現実との相対化がなければ、答えられない。現実と、客観と主観の折り合いをうまくつけられない。そのバランスをうまく保つことが、大人になるってこと?
わたしはわたしを信じられない。
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「自分を嫌いなら、人をすきになったり信頼したりできない」
なら、怖いほど、わたしが自分をはずかしくなるほどわたしを信頼して、愛してくれた人は本当は自分を嫌いなわけじゃなかった?
「自分は嫌いだ、嫌いだ」
自分をすきになれないから、そんな自分と違うものを持つ他者を求めるのかもしれないし、あるいは傷つくのがこわいひとはそれすらも拒絶するのかもしれない。
私は傷つくのが怖かった。深入りしたくなかった。勇気を出して懐に飛び込んできてくれた人を、袖にしてしまった。
今も傍にいてくれるその人のために生きていきたいのだ。
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