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食生活をとりまく社会環境の変化で生まれた「栄養教諭」 東日本大震災直後の宮城県で学校給食の重要性を再認識 今里衣さん〈前編〉

 8/3放送は、東京学芸大学附属 世田谷小学校 栄養教諭、今里衣(こん・さとえ)さんの前編でした。
  栄養教諭は2005年から制度化された職種で、学校給食の運営、献立作成、調理員さんへの指示その他衛生管理をするほか、子どもたちへの食育をコーディネートしています。

食生活をとりまく社会環境の変化から生まれた「栄養教諭」

 私は現在、東京学芸大学附属世田谷小学校で栄養教諭を務めています。栄養教諭制度は、子どもの食生活を取り巻く社会環境が大きく変化し、朝ごはんを食べない子どもの増加などさまざまな問題が指摘され始めた2005(平成17)年に文部科学省により創設されました。
 
 皆さんが昔からよくご存じの学校栄養職員は今もいらっしゃいますが、栄養教諭は給食管理と食に関する指導(食育)を一体的に行うことで、健康への意識を高めてもらいたいという先輩方の思いがこめられ、発展的に創設された職種と言えます。学校給食法のもとに学校栄養職員は全国の小中学校に配置されていますが、栄養教諭は小中学校の設置者(自治体)の裁量で置く/置かないが決められることになっており、現状全ての小中学校に配置されているわけではありません。
 
 栄養教諭が担う食育は、国語や社会といった通常の教科の時間をお借りして、授業と連携する形で食事や栄養の話を行っています。例えば、社会科の6年生の戦争単元の授業で、戦時中の食事がどのように変化してしまったかについて「配給制度というものがあってね」と、資料を用いながら伝えていきました。またある時はちょっと斬新な取り組みだったのですが、当時満州に住んでいた方が日本に持ち帰った食文化のひとつに餃子がある、という説を切り口にお話をしたこともありました。こうして私たちが知らない食のルーツやルートが実は戦争という背景からもたらされたのかもしれない、ということを社会の時間に子どもたちと一緒に考えたりもしています。
 
 はじめのうち、子どもたちはピンと来ておらず「今先生がいきなり餃子の話を始めたぞ。なんでだろう?」とクエスチョンマークが頭の中に浮かんでいる様子でした。そこが子どもらしく面白いところでもあるのですが、栄養教諭としては、そういった種をたくさん蒔いて、いつか気づきを得てもらえたら、という思いを込めているつもりです。

給食のない夏休み期間も「食育」を届けたい

 今はちょうど夏休みの真っ只中です。私たちは日頃給食を通じて子どもたちへ身体に良い食事について教えているため、給食のない夏休み期間に十分な食事をとることができないご家庭にどう働きかけていくかは課題だと思っています。例えばフードバンクなど近隣のNPO法人が食べ物を配布してくれるサービスがあるので、1食のバランスを整えるために「こういう食品や食材があるといいですね」と栄養士として提案できるといいのですが、まだどう関わっていけばいいのか迷っているところです。
 
 今できることとしては、夏休み前にお手紙を配布したり、献立表の裏に給食便りを印刷したりして、夏休み中の食事で心がけて欲しいポイントや、簡単なレシピなどをお伝えしています。例えば「きゅうり1本でも水分補給できる上、お味噌をつけると汗と一緒に流れてしまうカリウムなども一緒に摂取できますよ」といった内容です。しかしながら、実生活にまで介入していくのはとても難しいと感じています。
 
 家庭での食生活の変化という点で、最近朝ごはんにお菓子を食べるお子さんが増えているという声が聞こえてきます。栄養士として本来は「もっとこうした方がいいですよ」という関わりが求められるのかもしれませんが、私としては食べないよりは食べたほうがいいと思っています。子どもたちがリラックスして何かを口に入れることは大事ですので、明確に正すというよりは、小さな変化をもたらせるような選択肢を示すという関わりができるといいな、と。仮にお菓子を食べるにしても、減塩のものを選ぶなど、商品を選ぶスキルなども教えていけたらと思っています。
 
 家庭での食生活の変化が起こった理由のひとつに、共働きのご家庭が増え朝の時間帯が大変忙しいといった事情があります。そんなとき、例えばご飯とちょっとした食材を事前に準備しておけば、簡単にお茶漬けができて朝ごはんにお勧めですよ、といったレシピをお伝えしたら、大変喜んでいただきました。きちんとした食事をとってほしいということをあまり言いすぎると重荷に感じてしまい、キッチンに立つこと自体嫌になってしまう方もおられるでしょう。ですから「簡単なものでいいので、食べないよりは食べたほうがいい」ということを伝えるようにしています。
 
 現代はネット社会なので、「自分たちは十分情報をもっている。栄養士からの情報は必要ない」とおっしゃるご家庭もあります。そういう場合は、子どもたちとどうやって直接コミュニケーションをとり、食べ物や栄養のことだけではなく、生活全般に対して良い情報を伝えられるかが重要になります。そのため、私たち栄養教諭は栄養学以外も幅広く勉強しなければいけないと思っています。

東日本大震災直後の宮城県での経験が栄養教諭としての原体験に

 私が栄養士を目指した理由のひとつに、身体に良く美味しい食べ物を意識しやすい環境で育ったということがあります。祖母がもともと八百屋を営んでいて、料理には必ず旬の野菜を入れてくれました。加えて、学校給食がすごく好きだったというのが最も大きな理由です。先生がいて同級生がいて、公平で安全でみんなが同じものを食べられて本当にいい時間だと思っていました。そんな気持ちから「給食に関わる仕事に就きたい」と夢を抱き、栄養士になったという経緯があります。
 
 私が栄養教諭として初めて赴任した場所は宮城県の登米市で、2011年4月、東日本大震災直後から働き始めました。採用試験自体は震災前に受けていましたが、まさかあのような大震災に見舞われるとは想定していませんでした。なぜ宮城県の採用試験を受けたのかというと、中学時代の修学旅行で登米市を訪れたのです。その時の農業体験や田園風景が大変印象深かったため、採用枠があることを知りご縁を感じて試験を受けました。
 
 赴任先の学校は震災で給食センターが壊れてしまい、私が思い描いていた「子どもと一緒にお料理をする」といった食育は当然できるはずもありませんでした。本当にみなさんが大変な思いをされていたのですが、一方では正直なところ「どうやって働いていけばいいのか」と道がふさがれたような気持ちになっていました。実際に震災から1カ月は宮城県全域で給食運営ができず、あの温かい香りが校舎から消えてしまったのです。今思うと貴重な経験なのですが、私は給食が無くなった時期からその場にいたので、給食再開後に学校自体が活き活きと復活して、子どもたちも先生方も給食を食べることで力がみなぎっていく姿を間近でみることができました。
 
 震災以前を思い起こすと、毎日給食が提供されることは、どうしても当たり前の「サービス」として捉えられていたように思います。給食は「作ってもらって当たり前」「美味しくて当たり前」「新鮮で当たり前」と思われがちですが、私自身、東日本大震災を経験して、給食がなかったらどういう状況に陥るかがいつまでも記憶に残っています。その分、何があってもやっぱり給食は大事なんだと強く思わずにはいられません。
 
 当時、自らも被災しながら「子どもたちの給食をもう一度きちんと作りたい」という思いで、壊れた給食室を立て直すために栄養士さんたちが計画を立てて奔走していた姿を思い出すと、今のありがたい環境のもと、もっともっと身体によくて美味しいものを作らなければ、と思うのです。あの経験は胸に刻まれていて、自分自身を見つめ直す原点として大切にしています。

◆中村陽一からみた〈ソーシャルデザインのポイント〉
 少し前から、「食育」という言葉で、食と社会のデザインを意識するようになってきているが、今さんのお話をうかがい、栄養教諭という食の専門職もソーシャルデザイナーの一つの職能だと感じた。共働き家庭の増加や格差社会の拡大といった社会環境の変化により、小学生の間にも「タイムパフォーマンス」や「コストパフォーマンス」といったものが意識されるようになり、美味しいものや身体に良いものをゆっくり食べることよりも、手軽で早く食べられることが重要な時代になってしまっている。今さんはそのような家庭の背景にも心を寄せて、きちんとした料理をつくるよう指導するのではなく「食べないよりは食べるほうがよい」「商品を買うにしても選ぶときにこういったところを少し注意してもらいたい」と無理のないアプローチを試みているところに今さんらしい温かな優しさが感じられる。
 栄養教諭としての初任地が東日本大震災の発災直後の宮城県で、給食現場を立て直す経験をされていることが今さんの原体験として心の中にあるというのも頷ける。給食と食育を通じて一体的に食の大切さを教える栄養教諭は現在のところ全国の小中学校に必置ではないということだが、こういった教育を受けられる子と受けられない子の格差が生まれないよう、栄養教諭制度が今後発展していくことを願っている。

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