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#148 メインブログでやったFIFAワールドカップ検定の解答と解説



メインブログで更新したFIFAワールドカップ検定の解答と解説をこちらのNoteで行っていきます。
カタールW杯の情報や森保ジャパンの情報と軌跡、そして過去のW杯の歴史を振り返る企画など、様々なコンテンツを詰め込んだカタールW杯観戦ガイドはコチラからご覧ください!



Q1→③
第1回の開催国を担ったウルグアイが、オリンピック連覇の勢いそのままに優勝を飾った。決勝ではアルゼンチンと対戦し、4-2で勝利している。

Q2→②
カタールW杯は第22回目の大会となる。22回大会が2022年みたいな奇跡は多分今後当分起きないはず。

Q3→③
5勝の内訳は2002年のロシア戦とチュニジア戦、2010年のカメルーン戦とデンマーク戦、2018年のコロンビア戦の5試合。

Q4→①
なお、日本企業のモルテンが技術提供の形で関わっている。

Q5→②
1982年スペインW杯から1998年フランスW杯まで5大会連続で出場し、25試合で歴代最多出場となっている。ただし、アルゼンチン代表としてカタールW杯に出場するリオネル・メッシは現在19試合に出場している為、決勝及び3位決定戦までの7試合全てに出場すればマテウスの記録を更新する事になる。

Q6→②
準々決勝のカードとして対戦。イングランドに勝利したアルゼンチンは準決勝でベルギー、決勝で西ドイツを倒して優勝を飾った。

Q7→③
選手としては1978年アルゼンチンW杯で優勝を経験したが、アルゼンチンの監督として挑んだ1998年フランスW杯ではベスト8に終わった。初めてこの記録を達成したのは1958年スウェーデンW杯を選手として、1970年メキシコW杯を監督として制したマリオ・ザガロ。

Q8→②
W杯に向けた改修工事は行われたが、元は1976年に建設されたスタジアムで、W杯用に建設したスタジアムが続々完成するまでは2006年アジア競技大会や世界陸上2019など、カタールで大規模大会を開く際はこの会場をメインに行われた。日本はすドイツ戦とスペイン戦をこのスタジアムで戦うが、日本にとってはアジアカップ2011決勝でオーストラリアを倒して優勝を飾った場所でもあり、縁起は良い。

Q9→①
自国開催となった1966年イングランドW杯で優勝。クライフは準優勝、ジーコとプラティニは3位が最高成績。

Q10→①
2002年日韓W杯では東京は開催都市にはなっていない。2022年時点で、首都にも関わらずW杯の会場にならなかった年は1974年西ドイツW杯のボンと2002年日韓W杯の東京の2つだけである(ただし、2002年は韓国はソウルでW杯を開催しているので、首都での開催がなかったW杯は1974年が唯一)。

Q11→②
当時クリスティアーノ・ロナウドは21歳、リオネル・メッシはW杯デビューの時点では18歳だった。

Q12→③
1954年スイスW杯で決勝に進出。当時のハンガリー代表は「マジック・マジャール」と称された優勝候補本命だったが、決勝で西ドイツに2点リードをひっくり返されて敗北。この試合は西ドイツ視点では「ベルンの奇跡」として語られている。

Q13→④
20分、25分、70分に1点ずつ決めてハットトリック達成。尚、この試合はクローゼにとってW杯デビュー戦でもあった。バラックは3-0となるゴールを決めているが、リトバルスキーは既に引退しており、ポドルスキはそもそもプロデビューしていない。

Q14→③
父親がギリシャ哲学を崇拝していた事からこの名前が付けられたそう。一方、そのエレガンスなプレーぶりからファンからは「ドトール(医師)」と呼ばれた。尚、後に日本と深い関わりを持つ人物が多い黄金の中盤の中では唯一日本との関わりがほぼない。

Q15→③
グループステージのロシアvsチュニジア、スウェーデンvsナイジェリア、ベスト16のブラジルvsベルギーの3試合を開催。現在の収容人数は29631人とされているが、当時はゴール裏の屋根が設置されておらず、そこに仮設スタンドを設置する形で4万人以上のキャパシティを確保していた。

Q16→②
グループ3の試合会場として3試合の舞台になった。

Q17→①
0-7で迎えた90分に1点を返している。尚、大会を通してのオスカルのパフォーマンスは良く、大会終了後にはベストイレブンにも選ばれた。

Q18→②
2022年現在、GKとして唯一バロンドールを受賞したソビエト連邦の伝説的なGKで、W杯も1958年スウェーデンW杯から4大会連続で出場している。W杯の最優秀GK賞は2010年南アフリカW杯より「ゴールデン・グローブ賞」と改称されたが、2019年からはバロンドール選定の場において最優秀GKへの賞として「ヤシン・トロフィー」が創設された。尚、2018年ロシアW杯のポスターはヤシンをモデルにデザインされた。

Q19→③
前身のチャンピオンカップ時代を含めると、73-74シーズンをバイエルン・ミュンヘンが、1974年W杯を西ドイツが制している。

Q20→③
2002年日韓W杯から2018年ロシアW杯までは放送担当試合をくじ引きで決めており、第2戦のロシア戦のくじはフジテレビが引き当てた。ちなみに第3戦のチュニジア戦はテレビ朝日、第1戦のベルギー戦とベスト16のトルコ戦はNHKが担当。

Q21→④
1970年大会、1986年大会に続き、2026年大会もアメリカ、カナダとの3ヶ国共催の形で開催される予定。尚、1986年大会は当初はコロンビアで開催する予定だったが、コロンビアが辞退した事で急遽メキシコがホスト国となった。

Q22→③
当時黄金期を迎えていたアーセナルで、アンリやヴィエラとはクラブでもチームメイトの間柄だった。ピレスがメンバーに入れなかった中でジダンが負傷していた為、フランスはプレーメーカー2人をそのまま欠いていた事になる。

Q23→③
W杯で最も有名なジンクスの一つは1998年フランスW杯から語られ始めた。2014年ブラジルW杯準々決勝のブラジルvsコロンビアの試合では、ブラジル人サポーターがミックにコロンビアのシャツを着せたパネルを製作する者が現れたほど。

Q24→①
47分にフリアカのゴールで先制したブラジルだったが、66分にスキアフィーノ、79分にギジャが決めて2-1で勝利。ちなみに、決勝点を挙げたギジャは、64年ぶりのブラジル開催となった2014年W杯の抽選会にドロワーとして招かれた。

Q25→④
イタリア代表とACミランの伝説のCBで、ミランで彼が背負った背番号6は永久欠番となっている。バレージもバッジョ同様、枠の上にPKを外してしまった。

Q26→③
③はイタリア戦ではなく、続く準々決勝のスペイン戦で発生した事象である。

Q27→③
1974年西ドイツW杯で実現。抽選会では大きなどよめきが起きたらしい。優勝候補の西ドイツとそうでもない東ドイツという構図だったが、ユルゲン・シュパールヴァッサーのゴールにより東ドイツが1-0で勝利する番狂わせを起こした。

Q28→③
クロアチアのヨシプ・シムニッチは2枚目の警告を受けたが審判はレッドカードを提示しなかった。その後、再び犯したファウルにより3枚目のイエローカードとして退場になっている。当時の担当審判曰く、メモに違う選手の名前を書いてしまった事が要因らしい。

Q29→④
1970年メキシコW杯の優勝により、当時のW杯トロフィーであるジュール・リメ杯の永久所持が認められたブラジルだったが、犯人は逮捕されたにも関わらず、そのトロフィーの行方はまだわかっていない。

Q30→③
FIFA設立に向けた会議はパリで行われ、FIFAの初代会長もフランス人のロベール・ゲランだった。ちなみに英語なら「International Federation of Association Football」となる。


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