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#170 Jリーグ30周年記念、最終節ドキュメンタリー②2000年J1優勝争い

Jリーグは30周年を迎えた。
この国のサッカー界はいわゆるビッグクラブが不在と言われがちで、それは賛否を持って語られる。勿論、わかりやすいビッグクラブがいないことがデメリットと化す瞬間もある。だが、そういう群雄割拠の構図はこれまでに様々なドラマを最終節に生み落としてきた。ここではそんな、Jリーグの歴史に残る優勝争い・残留争いの最終節と、そこに至るまでの物語を振り返っていこうと思う。

第2回は2000年の優勝争いである。
当時のJリーグは2ステージ制だった。しかしこれまでは、それでも勝つチームは比較的固定化されていた事もあり、1999年を除けばこの事が大きく取り上げられる事はそう多くなく、スポーツ的には1ステージ制の方が良いの一目瞭然だが、収益などの観点から2ステージ制を抜け出す事が中々出来なかったの。
そんな中で「あるシーズン」は優勝争いの盛り上がりと同時に2ステージ制に大きな疑問を投げかける一年となり、2ステージ制というシステムが、盛り上がりと混乱の両方を呼び起こしたのである。そしてそれは、その論争の渦中にいたチームのみならず、1stステージと2ndステージで優勝争いを繰り広げたチームがそっくりそのまま入れ替わるという異常事態を招いた。
第2回の今回は、2000年のJ1リーグ、2ndステージの優勝争いを取り上げていく。

2000年のJ1チーム
鹿島アントラーズ(前年9位)
ジェフユナイテッド市原(前年13位)
柏レイソル(前年3位)
FC東京(前年J2、2位)
ヴェルディ川崎(前年7位)
川崎フロンターレ(前年J2、1位)
横浜F・マリノス(前年5位)
清水エスパルス(前年2位)
ジュビロ磐田(前年1位)
名古屋グランパスエイト(前年4位)
京都パープルサンガ(前年12位)
ガンバ大阪(前年11位)
セレッソ大阪(前年6位)
ヴィッセル神戸(前年10位)
サンフレッチェ広島(前年8位)
アビスパ福岡(前年14位)

①三ツ沢SPLASHは長居の果てに


1stステージ

前年のTOP3である磐田、清水、柏の3チームも安定した順位につけ、昇格1年目となったFC東京が開幕3連勝を果たして「東京旋風」と呼ばれる検討を見せたたものの、1stステージは基本的に1995年以来となる優勝を狙う横浜FMと初優勝を目指すC大阪のマッチレースとなった。両チームとも開幕戦では敗北を喫したが、開幕戦以降は第13節までの12試合を共に9勝3敗で乗り切り、Vゴール勝ちが1試合あるセレッソに対して、9勝全てを90分勝ちで勝ち切ったマリノスが僅かに首位に立っていた(※1)。
そしてラスト2試合となった第14節、勝点差が僅かに1という状況で両者は直接対決を迎える。勝てば優勝決定のマリノス、負ければ優勝を逃すが、勝てばホームでの1stステージ最終節に向けて逆王手をかけられるセレッソ……豪雨の中、三ツ沢球技場で行われた一戦は、そのシチュエーションも相まってJリーグ史に残る激戦となった。代表選手を多数抱えるマリノスと森島寛晃&西澤明訓のゴールデンコンビを軸にした攻撃力を持つ両者の攻防は一歩も譲らぬ激闘が繰り広げられる。セレッソが2-1の1点リードで迎えた80分、今ほど群雄割拠とは言われていなかった当時のJリーグで不覚をとる訳にはいかないマリノスは、中村俊輔の絶妙なクロスを外池大亮が叩き込んで執念で同点に追いつく。しかしロスタイム直前、セレッソはトラックプレー的なCKを最後は斎藤大輔が押し込み3-2で劇的勝利。止められないセレッソに止められる形になったマリノス。勢いと勢いがぶつかり合った激闘を制したセレッソは、遂にマリノスを追い越して首位で最終節を迎える事になる。

SUB:GK榎本達也,FW森陽一
SUB:GK小澤英明,MF原田武男,内田利広


会場はホーム、長居陸上競技場。対戦相手は降格圏に位置する川崎。長居を埋め尽くした40000人を超す観衆の誰もがセレッソの優勝を信じた…信じたというより、あの当時のセレッソがあの当時の川崎を相手にして、優勝を逃すというシチュエーションを疑わなかった、という方が正解だろうか。



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