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#164 2023.05.15 -Jリーグ30周年-



「あの時引越ししてなかったら、多分お前は野球部に入ってたと思う」

以前に親に言われた言葉である。
小学校に入るか入らないかくらいの頃に私は京都に越してきた。
今はわからないけれど、前に住んでいた場所は少なくとも当時は野球一色の街だった。当時の知人はみな野球の道を志していったという。あの場所で成長していたら、おそらく周辺環境の影響もあって自然と野球に進んでいただろう、サッカーに目を向けることもなく…と。まぁ、野球は野球でも今も大好きではあるが。

そこで京都に引っ越してきた時、当時はやたらと小学生に対して京都パープルサンガの試合の招待券を貰えた事を覚えている。仲良くなった友達はサンガファンだった。西京区陸上競技場は家から気軽に行ける場所だった。意識的にサッカーを見るようになるまでに、そう多くの時間は要らなかった。初めて観に行った試合は2005年5月の湘南戦。マッチデープログラムと睨めっこしながら選手の顔と名前を擦り合わせて、覚えたての選手が点を取った。
その時に決勝点をとった中払大介が今では解説者でポジションを築いている辺りに時間の流れを感じる。やれボロっちいだの、やれクソスタだの言われようとも、西京極はサッカーファンとしての私にとって故郷である。サンガスタジアムに移転した後、天皇杯で久々に西京極でサンガを見た時にその感覚は一層強くなった。

意識的にサッカーを見るようになった私は、自然とテレビのチャンネルもそれに合わせるようになった。
時は2005年、ジーコジャパンがドイツW杯出場を懸けた戦いに挑む。あのやたらイケメンの主将と、2点目をとって親を含めた周りのサッカーを知っている人達が「大黒様!!」とやたら奉る男。どうやらベンチにはもう一人、この二人と同じチームの人がいるらしい。ガンバ大阪ってなんなんだろう?─1ヶ月後、それまでJ2しか知らない私は、たまたま番組表にあった「ガンバ大阪」の字に記憶を辿り、チャンネルを合わせた。

それは今までに感じたことのないタイプの衝撃だった。
面白いようにパスが繋がり、面白いようにシュートが決まる。画面の中の青黒で踊るように躍動する青と黒のユニフォームを、当時8歳の自分がヒーローとして捉えるなんて容易い話だった。



もし親の転勤がなければ、私の学生時代はバットとグローブを持って白球を追っていたかもしれない。
もし違う場所に引っ越していたら、その土地でまた違う日常を手にしていたかもしれない。
もしあの日本代表戦で活躍したのが違うチームの選手だったら、或いはあの試合で青黒ではなく、深緑のユニフォームのチームが躍動していたら、愛したチームは違ったのかもしれない。

振り返ってみれば、今の自分の愛するサッカーに必然性は無いように思う。全ては偶然から始まった。何か宿命づいたものもなければ、違う風の吹き方をすれば全く違う今があったかもしれない。
私が京都に来た時、そこにはもう"Jリーグという概念"があった。偶然という運はコントロールできない分、思っているよりその辺に転がっている。その偶然が形になるかどうかは、そこに日常があるかどうか、偶然の大元のような概念があるかどうか、だ。

Jリーグは日本という国に新たな概念や日常を作り上げた。
ほんの偶然でJリーグに触れた者に対して、概念を提供できる場所…それがあったからこそ、今私は偶然に乗っかり、今の日常を歩んでいる。それは日常に溶けた今となっては当たり前のようで、この国のサッカーはそれが当たり前ではない時代の方が遥かに長かった。先人達の尽力の上に築き上げられた概念は全てを加速し、それが夢のまた夢だったような光景を現実に近づけてきた。だからこそ私にとって西京極は原風景としての役割を持ち、その概念の全てにはならなかった。サッカーに限らず、世界のどの国の文化もそういうサイクルの上になっている。


正直なところ、ここまでハマれば病気だとも思う。
例えばコンサートのチケットは、席やセットリストに多少の不満があったとしても、家路につく時は「楽しかった」と幸せな気持ちで帰ることが出来る。
だがサッカーに限らないが、スポーツチームを追いかけた時、そのチケットは幸せの引換券にはならない。来た時よりも重い足取りで家に戻り、どこか沈んだ気持ちで1週間を過ごす。言ってしまえば、金で憂鬱を買う事だって少なくない。
にも関わらず、また試合の時間になればスタジアムに行くか、テレビのチャンネルを合わせる。それを繰り返す軌跡の上で幸福を謳歌し、不幸を嘆く。その日常こそがJリーグという概念がもたらした財産なのだろう。忘れがちなその尊さを、いつまでも胸に刻んでいきていきたい。

1993年5月15日、あの日から日本サッカーの歴史はギアを一気に踏み込んだように動き始めた。
そこにJリーグという概念が与えた影響は計り知れない。やや日本のスポーツ文化が硬直気味だったところで、Jリーグが開けた風穴は本当に大きかったと思う。
与えられた概念の尊さを感じ、感謝を常に覚えながら、私自身もこれからも、この日常を回すサイクルの構成要素として、何より憂鬱で何より幸せな日常の上を歩いていきたい。

Jリーグ、30周年おめでとうございます。
そしてこれからも……。

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