#160 風が揺れた夕刻【Jリーグ30周年 ガンバ大阪 vs 浦和レッズ 名勝負回顧録】第2位 2014 Jリーグディビジョン1第32節 浦和レッズ0-2ガンバ大阪



1993年5月15日、華々しく開幕したJリーグ。
その翌日の5月16日、万博記念競技場で行われたガンバ大阪vs浦和レッズが、両者の因縁の始まりだった。
「Jリーグのお荷物」とさえ呼ばれた両者は同じ時期に栄華を築き、両者の対戦は「ナショナルダービー」とも称された。これまでこの両者が火花を散らした幾多の名勝負の中から、ガンバファン視点120%で印象的な名勝負をじっくり文章で振り返っていこうと思う。
第2位として振り返るのは2014年11月22日に埼玉スタジアムで行われたJリーグディビジョン1第32節。ロードムービーのような3年間が結ぶドラマの結実はこの日の埼スタに在りました。

第4〜10位



第3位



リザーブ:GK加藤順大,DF永田充,MF山田直輝,関口訓充
リザーブ:GK河田晃兵,DF藤春廣輝,金正也,MF明神智和



落日の時を迎えたガンバにとって、再起は図るものではなく迫られるものだった。

先にスランプに突入したのは浦和だった。その間も優勝争いに絡み続けていたガンバにとって、高い壁だった浦和と埼玉スタジアムでどこかすんなりと勝ててしまう感覚は、勝利の喜びと共に一抹の切なささえもあった。
だが浦和を遠巻きに眺めていたガンバは浦和の復活と入れ違い、そして更に深淵へと吸い込まれていく。2012年の惨劇はもはや言うまでもない。1年でのJ1復帰こそどうにか果たしたが、深淵でもがく日々はJ1に復帰した後も暫く続いた。J1に復帰した開幕戦で浦和と対峙した時、数年前にガンバが浦和に抱いた喜びと切なさは浦和に引き継がれてしまっていたように思う。

それでもガンバはこの舞台に戻ってきた。首位の浦和、2位のガンバ……浦和はこの試合に勝てば優勝が決まる立場。8年ぶりの優勝を決める相手が2位のチームで、しかも最終節か否かという点を除けば8年前と同じ対戦相手。縁起を感じるには十分すぎた。浦和からすれば、返り討ちにこれほど昂る感情を覚えるシチュエーションもそうなかったはずだろう。
対するガンバは前節、残留争い中の仙台にアディショナルタイムの失点によりドローに終わり、そのせいで浦和がこの試合に王手をかける事になってしまった訳だが、直前のナビスコ杯決勝での逆転勝利とタイトルが漂い始めた嫌な雰囲気を一掃していた。高い完成度で準備万端、迎え撃つ為の材料を全て揃えた浦和と、J2優勝シャーレとナビスコ杯トロフィーを引っ提げて戦場に乗り込むガンバ大阪……両者に渦巻く歴史がより一層空間に特別な風を吹き込んでいく。浦和が低迷し、そしてガンバが堕ちた事で過去の歴史に溶けたナショナルダービーは、14時の笛と共に復活の刻を迎えた。


浦和はエースの興梠慎三こそ負傷中で、この試合に強行出場的にベンチに復帰にさせるのがやっとだったが、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下で築いた娯楽性のあるサッカーは完成形に近い輝きを誇り、優勝に王手をかけた埼玉スタジアムの風にも乗って前半から主導権を握る。ガンバも前半終了間際に宇佐美貴史のロングボールにパトリックがダイレクトで合わせるなどチャンスはいくつか作ったが、前半のガンバは耐える時間が絶えず続いていた。
その試合展開は後半も変わらず、押し込む浦和に対してガンバは守勢に回る時間が続く。だが、この時のガンバは耐える事が出来るチームだった。それは長谷川ガンバの良い守備を攻撃の一歩目とする考えが浸透しチームとして統一されていた事や、この年から加入した東口順昭の存在もあったのだろう。攻撃至上主義ではなかった当時のチームは耐えるべき時に我慢できる胆力を備えていたし、一発の鋭さを持っていたからこそ、チームとして一瞬に懸ける神経を研ぎ澄ましていたチームだった。そしてその構図はまるで、かつて見たナショナルダービーとは異なる立場でもあった。もしこの日からの数年間のナショナルダービーを「第2期」と呼ぶのだとすれば、それは第1期とは真逆の構図にも見えた。


攻め立てる浦和、耐え凌ぐガンバ。ただ、浦和の猛攻もガンバをサンドバッグ的に殴り続けたそれとは異なり、浦和は浦和でガンバを崩し切れていた訳ではなく、ガンバも4-4-2を基調とした選手の足並みはなかなか乱れない。
こうなると、今度は浦和が焦る立場になる。この試合を含めてラスト3試合で2位ガンバとの勝点差は5。3位の鹿島とも7点離れている。冷静に考えれば、優勝が確定しないだけで浦和は引き分けでも勝ちに等しい立場だった。その立場は本来、引き分けが負けに等しく勝つ以外の選択肢がないガンバと比べて圧倒的に有利なはずだった。もし仮に試合展開がガンバが猛攻を仕掛ける展開だったならば浦和もそういう考えに至ったのかもしれない。だが試合はそういう展開にはならず、浦和にとってはまるで空気を斬るような手応えのない攻勢はフラストレーションを募らせていく。ホームの大歓声の風が押す背中は、次第に浦和にペースの乱れた駆け足を求めていくように平静と現実思考を奪い去っていった。
そんな時に長谷川監督が動く。71分に宇佐美を下げてリンスを入れると、82分にはパトリックを下げて佐藤晃大を投入。絶対的な2トップを下げる大胆な采配を打ったのだ。だが、この数ヶ月の長谷川健太は間違いなくゾーンに入っていた。この二人の間には倉田秋も投入しており、一気に畳み掛けるように交代カードを切る。浦和を急かす風の音は少しずつ軋み始めた。


88分、浦和は右サイドでFKを獲得すると、柏木陽介がこれをエリア内に蹴り込む。ボールの軌道に入っていた遠藤保仁がエリア内から掻き出したこのボールは決してクリアではなかった。勝たなければならない立場のガンバは、浦和の攻撃に耐えながらもその道筋を作り、そしてその道筋にボールが乗る瞬間をずっと待っていたのだ。
ここしかない……そのタイミングで遠藤の足元にボールが入ったのは偶然だったのか、それともそうなる運命だったのだろうか…。ボールを受けたリンスは並走してきた阿部浩之にボールを預けて更に前へ。この舞台に辿り着くために最も重要だった鹿島戦でヒーローになった男は、まるであのドラマをなぞるかのように左サイドを駆け抜けていく。阿部のスルーパスがややリフレクションした事が浦和守備陣の戻りのテンポにも少なからず影響を与え、ガンバ陣内でのペナルティエリアの攻防は一点、そのエンドを変えた。リンスが持ち直し、エリア内へのパスを試みた時、そこにはDFラインから爆走でリンスに追いついてきた米倉恒貴が走り込んでいた。しかしそこには此方も必死の思いで戻ってきた阿部勇樹が米倉を食い止める。浦和も必死だ。嫌でも自覚しなければならない悲劇へのカウントダウンは自分達の手で止めなければならない。阿部勇樹の帰陣にはそれだけの気迫が滲んでいた。米倉は潰した。リンスも減速した。カウンターは潰えたかのように見えた。だがリンスのラストパスの行き先は米倉ではなく、少しマイナス方向へ転がっていく。そこに走り込んだのは佐藤だった。

佐藤の流し込むシュートがネットを揺らしたあの時、埼スタの風は確かに揺れた。


引き分けの為にも得点が必要になってしまった浦和は、まだ怪我が完治はしていなかった興梠のスクランブル出場を結構する。追う者と追われる者は立場を変え、浦和はエースの復帰に救いを求めた。
しかし一度揺れた風の向きが押す背中はガンバだった。浦和のスローインからの流れを今野泰幸が断ち切ると左サイドへパス。これを受けた倉田は追随する森脇良太を振り切ってシュートをゴール右隅へ流し込む……終わってみれば、途中出場の3人がそれぞれゴールとアシストを記録した事になる。

赤く染まった埼スタの夕刻を駆け抜けたガンバの止められる者はもうどこにもいなかった。「敷かれたレールの上を」というとあまりに良い響きでは使われないが、ここから先のガンバは自分達で丁寧に敷き詰めた三冠へと続くレールの上を、強烈な追い風に乗って走っていくだけで良かった。

もう、それだけで良かった。


2014年優勝争い詳細



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