今年のお正月の記憶

お正月というか、年始の話し。
兄に
「家族会議するから、実家に来て欲しい。」
と言われた。
実際には兄嫁からその旨のメッセージがきた。
兄嫁は出席しなかったが。

実家に行くと、兄はまだ到着してなかった。
家に入ると、私は「きたよ」と言った。
タダイマとは言いたくなかった。
母は
『帰ってきた…
…うぅ…
…うれしい』とメソメソ泣き始めた。
それから兄がやってきて、母にお金を渡していた。
私がお金を実家に供給しなくなったので、
矛先が兄夫婦に行った訳だった。
それで、家族会議。
兄はいくつか案を提示した。
・離婚
・自己破産
・生活保護
どれも母は断固拒否だった。
『そこまでして生きていたくない』と言う。
いやいや、お金貰ってるじゃん?
『借金があるから、生活保護受けられないよ』と決めつける。
『離婚しようとしても、あの人が紙を破く』と愚痴る。
兄は姉にも
『母ちゃんいなくなったらどうするの?』と言った。
どんな文脈だったかは忘れた。
ただ、姉は
『そしたら〇〇(姉)も死ぬもん!
後追いするもん!』と言っていたのが衝撃だった。
でも、よく考えれば、私もその一員だった訳で。

とりあえず、市役所と弁護士に相談するということで、話がまとまった。
その場では。

ほかに、私に似合う洋服があったからと袋を渡された。
私は、いらないと拒否した。
実家にいた頃、私は洋服を選んだことがない。
母と姉が選んでくれるからだ。
そして、「ありがとう」といって、支払う。
私はお金を払う、着せ替え人形だった。
一人暮らしをして初めての衣替え。
母と姉が選んだ洋服を出して、眺めて、なんだか着たくなかった。
でも、新しい洋服の選び方なんてわからなかった。
このとき29才。
ショッピングモールを歩きながら、切なくて悲しくて、泣いていた。
店員さんとも話せない。
どんな服を着たいのか、探しているのかがないからだ。
だから、気になったファッション雑誌を片っ端から買って、その中でもなんだかいいなと思ったデザインを覚えた。そして、お店を探したり、インスタを眺めて、いいなと思った写真を店頭で聞いた。
ネットで仲のいい人にも聞いたりした。
そうやって自分なりに苦労したのに。
なのに、
母と姉はまだまだ押し付けてきたから、拒否したのだ。
でも、怒られた。
『ありがとうって受け取っておけば穏便に済むものを!』とかいろいろと怒鳴られた。
受け取って帰ってしまった。
兄にも『そんなに拒否しなくても』と言われたのも、影響した。

兄はそそくさと帰っていった。
私もすぐに帰ろうとしたが、母がおんおん泣く。
姉は、こんなに泣いてるお母さんを置いていくのか!と怒っている。
家を出ても、母もついてくる。
車に乗って鍵をロックした。
怖かった。
ドアノブをガチャガチャしながら、
『帰らないでぇ…
…お願いだから
行かないでぇ…』と窓越しに叫んでいる。
集合住宅でだ。
怖すぎて、訳分からなくて、笑ってしまった。
エンジンをかけた。
そして、母は身体をボンネット側に押し付けて
『行けるもんなら、行ってみろ』
と勝ち誇ったように、強気に言う。
しばらくそのまま待っていた。
焦っていたけれど、そんなこと悟られようものなら、味をしめられて、され続けても困るので、普通を装っていた。

その恐怖から、それ以降実家には行っていない。

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