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0149 誰一人取り残さないなんてない

某カタカナの取り組みをよく聞く。
そのたびに「誰一人取り残さない」というんだが、そんなわけあるかい、と突っ込んでしまう。

今回、仕事で悶々としていて、辞めたいと周囲に漏らした時の反応見たってそうだった。
「みんなだって頑張っているんだから」
「誰だってそうなんだから」
「むしろお前が少し、まじめすぎて責任感強すぎて潔癖すぎ」

こういわれ続けると、「誰一人取り残さない」というのは、「僕たちの仲間であれば」という条件付きなのであり、それは、「俺たちも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」ということをやって初めて、取り残されないようにするのだと思ってしまう。

病院で、ちょっと言えば休めるんだから、診断書もらって休めという。
なんでだろうなぁ。不本意な異動で、無理ゲーな任務渡されて、出す度に否定されて、朝令暮改で、なのにどうして私が休職という、職歴に残ることをしなければならないのか。体は動くのに。
って思ってしまう。
取り残されないためにってことなら、このカタカナ用語は、健全な精神の、健全な体の持ち主が、周囲に溶け込めて初めて叶うことなのだと感じている。

うつうつしていても仕方ない。
相方氏のお世話と仕事しかしていないから、うつうつするんだ。
何かを我慢しているからダメなんだ。
やりたいことを探そう。
それがなければ、何かとりあえずやればいい。
真面目すぎ、責任感強すぎと責められているように感じている場合じゃない。
自分で思っていた取柄が、180度ひっくり返って欠点になってしまったのなら、私を知らない別の場所へ行けばいいのだ。

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