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0133 主語が「私」になると見えなくなること

メンタルをちょっとやっちまって、仕事を休むという経験をした。
その間いろいろ困ったことのうち、一番大きかったことは、「あなたはどうしたい?」という問いに対して、何にもなかったことだった。

病院でも聞かれる。
「どうしたい?」
休みたいと言っていいのか、頑張りたいと言っていいのか。
休みたいんだけれど、逃げているようで、どうしたらいいのか分からない。
仕事に行けと言われれば行ける気がするんだけれど、どうなんだろう…のループにはまった。
実際は、頭痛がひどく、仕事をどう進めようということが分からなくなってしまったので、休む選択をしたのだが。
復職時にあと一か月は休んだ方がいいけれど、どうしたい、と聞かれ、散々悩んで、出勤したのだった(そして、復帰直後からずっと残業なんだけれども)

転職を考えだしたのはいいが、ここでも「私」が引っかかる。
何をしたいのか分からないのである。
書類を書こうとしても「私は何をしてきたか」が書けない。
今まで何も考えてこなかったのだなぁと、衝撃を受けている。

相方氏はその点反対だ。
ここに行きたい、これがやりたい、がはっきりしている。
例えば、「ドトールのヨーグルンを飲む」のが好きだから、ヨーグルンがないドトールには絶対入らない。私がたとえ、座って休みたくてもそこは譲らない。

自分のやりたいことを、相手の様子を窺わずに貫く相方氏と、相手の都合に合わせてきた結果、自分のやりたいことが整理できない私。
ちょうどいいのだろうな。

…ではなく。
アラフィフになろうとする段階まで生きてしまっているのに、どうしたらいいのだろう。

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