見出し画像

実家に帰らせてもらいます

 両親に啖呵を切って家を出て東京に来た私は、社会の汚い部分を沢山見て心も身体も壊して実家に帰ることになった。

 本当は親子関係も良くないし、向上心もなくセクハラという概念すら知らないのでは無いかと思われるほどに無配慮な地域住民も嫌いなので戻りたくないのだけど、ひとりで自立して生きるには、まだ十分に体が治ってはいなかったから仕方ない。

 でも実家は鹿児島の種子島。はちゃめちゃに遠いし飛行機の手続きなんかは億劫なので、元より旅行が好きな私は、青春18きっぷを初めて使って数日かけ帰省してみることにした。

東京発鹿児島行

 宿も決めず無計画で旅行をすることに定評のある私は、早速体調が悪い。始発で出ようと思ってたけれど吐き気と目眩に襲われて、予定時刻を少しずらした。

 大阪で食事のお誘いがあったので国分寺→川崎→熱海→浜松→と順調に来ていた。

 特に熱海付近の静岡はトタンの錆びた家が立ち並び、無人のようにも思える駅が続き、松は海に触れる。私の好きな雰囲気を持っていた。

 次住むなら静岡だな、とか考えながら、なんとなく沼津で降りて、駅のホームの安っぽくさびれた感じの立ち食いそば屋でコロッケだけ注文してみた。出てきたコロッケは冷たくて、失敗だったかも、なんて思ってたけれどそばつゆをついでにとくれたので、いい感じだった。

 途中、お相手の方も体調が悪いという連絡が入り、次回持ち越しとなった。

 正直大阪に食事以外目的がなかったのでTwitterで広島行っちゃうか~とか、宝塚が呼んでる?とか、勢い余って岐阜に行きそうだったとか嘆いたところ、岐阜のフォロワーが「来ればよかったのに!」と言ってきた。そしてすぐ調子に乗ってしまう私は即岐阜に行くことを決定した。

 青春18きっぷの元は正直十二分に取れてたし、今日はずっと電車移動だったのもあって200円程度しかお金を出してなかったので、私は私鉄への乗り換えを容赦なくする。

 名古屋を過ぎた。平和園に行って歌集を取り出して「お客さんも短歌やってるんですか」って聞かれるという野望はまた東京に戻るときに叶えることにした。

 こうやって電車に乗ってると、街の雰囲気が切り替わる様を見られるから良い。案外簡単に県外に出られるという実感も得られるから精神的に気楽だ。実家が島じゃなければ、中学高校は夏休みに青春18きっぷで沢山旅に出てただろうなと思う。

 岐阜に降り立つ。

 私が降りた場所は所謂住宅街のようなところで“岐阜らしい何か”はあまり無かった。しかし高校を卒業したてほやほやの青年がくれた鮎菓子と、約1時間半の会話が大切だった。最も、私は人と出会うことを目的に岐阜に降り立ったのだけれど、想像よりも楽しかった。

 ここから会話と出会いについて少し書きたい。

 私はまず、他愛のない話というのを久々にした気がした。

 つい、文学について、セクシュアリティについて、自分という存在の在り方についてなどの他者から“お堅い話題”と揶揄されがちな話ばかりしてしまう。

 揶揄されがちである以上、なかなか話せないので嬉しいのだが、最近それらへの関心が強まることにより、生活から少し離れて行ってるような気がしていたのだ。

 別に頭の良さそうな話し方ができるわけでも、本を引用したりするわけでもないのに日常会話というのをあまりするのが得意ではないために、ついとっつきづらい話題ばかりを投げかける。

 今日はそれっぽいことも話したけども、軽妙で且つ生活への親和性(密着度)の高い話題が多かったように思える。

 生活や過去に目を向けることは、今の私にとってそう簡単に出来ないことのひとつになっている。学生という身分を持つ彼との会話はなんだか良かった。具体的な分析などはあまりしたくないようは、雰囲気を味わう時間が良かった。

 話は少しだけ変わるが、先日、三鷹に物件を探しているくらいしか情報のないフォロワーと接触を図ってみた。私のTwitter上の繋がりは詩歌の枠をおおよそ出ない。なので久々に手探りの会話をした。

 こちらもまた良かった。手探りの会話など、最近はめっきりしなくなったからである。

 同じ人間と関わることによるメリットは多くある。例えば最近、密接に関わっている人間がいる。互いの趣味の共通点を深く話すことが出来るし楽しめることになんら不満もなく、むしろ満足をしている。そして一緒に映画を見たりするのも楽しい。

 しかし、自分の範疇にない趣味を持つ人間との交流には、深度は期待し辛かろうとも、無い視点を多く与えてくれるというメリットがある。

 人と出会うということの有意義さ、深く考える為にもまず視野を広げることが重要だなと改めて感じる。

 私は本を読むけれど正直得意ではなくて、本で視野を広げることはあまりしない。代わりに沢山の出会いを求める。知識は無駄にならない。出会いもまた、無駄にならない。

 前から思っていたことだし、自分の中では分かりきっていることではあるけれど、人との会話を最近は純粋に楽しむことができるのが嬉しい。

 私は既に岐阜を離れ米原を発ち、もうそろそろ大阪というところにいる。

 宿は決めていない。少し街の様子を観察して、面白い人が居たら良いし、居なくても私は今日満たされている。そして明日もまた長い電車の旅が待っている。

 私は島という閉鎖的空間に戻れるまでに、どれだけ視野を広げ、島の住人の視野を広げることができるだろうか。

 締めくくるには早いが、少し楽しみが増えた帰省1日目だった。