1202冬という遅効毒
水仙にアイスピックを突き立てて祈りのような言葉を吐いた
/笹井宏之『えーえんとくちから』より
この歌の話をする前に、私の話をさせて欲しい。
この短歌を読んだ時、私は母を殺そうとした日の事を思い出した。
十数年に及ぶ父の暴力や横暴を止めてくれない母を恨んで、父では太刀打ち出来ないのを分かって弱い母を選んで殺そうとした。そして自分も自殺して、父を苦しめてやろうと思った。一番出来が良く、自分の出来なかった夢を托していた娘がただの穀潰しになった上に、母を連れて無理心中したら絶望だろうと思った。そして、そうすれば虐げてきた私の苦しみを父が後悔し、理解してくれるはずだと思った。父にただ、理解されたかった。
静かに寝室に入り馬乗りになって、首を絞めた時に母は叫ぶでもなくただ私を真っ直ぐと見つめてきた。怯んで力を弱めても、手を払うことなくただずっと、見つめてきた。私はずっと、赦しを請い、母の顔に涙を落としながら最後はもう力が抜け、ベッドからドタドタと落ち、項垂れて動くことが出来なくなった。
母は自ら首を絞められようとした。項垂れて酸素が回らない私の手を無理やり首に押し当て、強く絞めろ、と言った。私が辞めた高校の同級生たちの卒業式が近付いている冬の夜だった。
この短歌を読んだとき、水仙の持つ毒のこと、香のこと、白さのこと、そして何より時期になったら何もないと思っていた場所から芽を出す強さを思った。
主体が持っているのはアイスピック、それは生命というものが持つ鋭さと違い、言ってしまえば卑怯な強さだ。でも、そのアイスピックでしか太刀打ちできない。圧倒的な強者に屈し続けないためには、それに頼ることでしか、生命力の希薄な主体は意思を伝えることが出来ないのだ。
水仙という強いものを征服しなければ、水仙は球根を眠らせ毎年数を増やして咲き続ける。罪悪感が無いわけでは無いけれど、止めねば永遠に自分は場所を失う。2つに1つの選択を迫られる人間は強迫観念に襲われている。強いわけではない人間の祈りのような言葉こそ、この短歌の苦しみの部分だ。
祈っても無駄だと分かっている。だから祈りではない。でも本心では欲している助けのために、私は手を伸ばせない。
読み進めるにあたり、笹井宏之という人が既に亡くなっていることを知った。
彼の病気のことを鑑みると、水仙は私の思うような人の形をしておらず、病という未知のものを具現化させたものなのかも知れないと思う。それでも、圧倒的な力に抗おうとした彼の姿が浮かび上がってくる。
私はきっとこの先も、この歌を好きだと言い続ける。そして、私が母にした罰を思い出す。
祈りのような言葉のあとに、救いがあってほしい。救いのために、私は生きている。