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最後のチャンス。

毎日毎日重い鉄に油まみれに、なんとも言えない工場の匂い。

ただ周りの人達に恵まれていて楽しく働いてた!
一緒の班の派遣会社から来てる人に『ずっと思ってたんやけど派手よな?(笑)服屋さんとかで働いてそうやのに何でここなん?』って唐突に休憩中に言われて、何かが溢れ出したかの様にマシンガントークでずっーーーと服屋さんで働きたくて働いていた事を1しか聞かれてないのに10で返してた。

その人が『まだ働きたいんやな!母子ってアパレル難しいんかな?子供が小さいとすぐ休めたり、お迎えって言われても厳しそうやもんな。』

まさにそれでしかなくて

ほんまの事言うとお母さんなった今でも働きたい!
毎日メイクして自分でコーディネート考えた服で働きたい!お客さんと話したい!
これが本音やった。

ただ一つ前の記事に書いた"ハンディキャップ"
これも大きく関わっていた。

私は19歳から、もうすぐ36歳になる今も
"パニック障害" "双極性障害" "ADHD" "機能性ディスペプシア"と大きく分けて4つの持病があった。もちろん処方箋も出してもらって心療内科も欠かさず通院してる。

アパレルで働けたとしても私が住んでる場所には働きたいショップは無い。
そうなると苦手な電車や車なら高速を使った通勤になる。
お店で接客中やレジ中にパニック発作が起きたら…
こんな事ばかり考えてる上に、シングルマザー。

どこに働けるアパレルがあるんやろ。

でもあの派遣会社の人が何気無く聞いてくれた事によってADHD特有の、よっしゃ!やりたいならやろ!探そ!
って言うまたまた謎の自信が沸いてきて
携帯求人アプリから紙媒体の求人誌を毎週の様に休憩中に探しまくった。

ある日いつもみたく求人誌を見てたらデカデカと二面にカラー写真で私が昔から好きな古着屋さんが隣町の駅ビルにオープンするという。
ここがいい!!
それにアパレルで初めて見る『未経験者、学生、フリーター…』の文字の続きに『主婦、主夫』と書かれていた。

まだ何も始まってもないのに泣きそうになった。

ただ、研修期間中は少し都会の街での研修があるとの事。
満員電車…考えただけでも死にそうになった。

私は賭けをした。

研修期間後、オープン1ヶ月後に店舗にアルバイト募集しているか聞く。その間に今の工場を辞める方向の旨を伝えよう。

これで今はいっぱいです。って言われたら諦めよう。
私のアパレル人生最後のチャンス。

それから1ヶ月後、店舗に直接電話をしたら、募集は今してないですが一度面接をさせて頂きたいとの事でした。

もう、辞める!工場辞める!(笑)
まだ面接もしてないのに(笑)

それから面接に行き、まだ小さな子供がいる事、思いの丈をぶつけて、もう受かった気で帰宅。(笑)

でも対面面接後にある面接用紙に嘘をついてしまった。
健康体であるか?持病等は無いか?

無しに躊躇なく○を書いた。
ここに沢山の学歴がそれだけあればいいのにくらいの病名をズラズラと書いたら私は今ここで終わる。
そう思った。

工場勤務にも慣れに慣れてきた頃に携帯がやたら鳴る
面接から1日経った日。
普段見ない携帯が気になって見るとアパレル会社から!!!!

近くに居た社員さんに(みんなには理由も言ってあったので)どうしよ!!電話かかってきてる!!
って大騒ぎしたら、めちゃくちゃ良い人で、仕事中やのにトイレで折り返しの電話しておいで!なんでも早い方がええやん!って言ってくれて。

折り返しの電話をした。
『○○さん、今回面接をさせて頂いて是非働いてもらいたいと思いますがどうでしょうか?』

あんまり何を話したかは覚えて無いけど
トイレで嬉し泣きした。

顔洗って戻ったら周りの人も、どうやった?!って気にしてくれて、受かりました!って言うと喜んでくれた。
その日の仕事はここで働き出して以来のスピードで仕事終わらせてた(笑)
普段からやれよ。って感じやけど、人はマインドの持っていき方で仕事の効率が変わってくる。
だからどんな仕事でも、どれだけ楽しめるか。目標持てるか。ほんまに大事!

最後お疲れ様とアパレル復帰おめでとう会までしてもらった良い職場でした。

私の最後のチャンス、絶対働く!働きたい!
この気持ちも少しは運とかのパワーの一部やと思う。

お母さんになってからのアパレル人生復活劇開幕!

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